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日本種苗新聞に掲載した「人新世を耕す」の pdfファイルです。

Articles contributed to "Japan Seed News".

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帯広農業高校の実習圃場での直播甜菜畑の除草作業


私の投稿はテーマごと、期間ごとに分けられています。左のサイドバーから飛んでください。
My articles are sorted according to the subjects and period. Please jump from the left side bar.



日本種苗新聞連載記事「人新世を耕す」 
2021年4月1日連載開始
A series of articles published on "Nippon Shubyou Shimbun" from April 1, 2021.


日本種苗新聞に掲載された記事のpdfのみを公開してきましたが、下記のWeb画面で直接読めるようにしました。(2024年7月12日)


記事リスト

第1回... 寒冷化に伴い農耕 ー 間氷期の採集作物で準備

第2回... 自家米を焼畑で生産 ー 不作でも1.5倍以上に

第3回... 世界で「千分の4戦略」 ー 土壌中の有機炭素増やす

第4回... 多様な効果ある緑肥 ー 炭素含有向上や排水性を改善

第5回... ダイコン栽培に緑肥 ー 含有成分は有意に増加示す

第6回... 病害抑制の可能性も ー 軟腐病にポリフェノール

第7回... 土づくりで地力維持 ー 高品質で安定生産に活用

第8回... 畑で耕畜連携を推進ー 生産性と品質の向上図る

第9回... 進化で食の内容変化ー 土壌侵食で疲弊する養分

第10回...生存環境劣化に対処ー 有機農産物の適正評価を

第11回...全生物に食料供給ー 命支える18cmの地表土壌

第12回...子孫から大地借用ー 平和の民「ホピ族」の口伝

第13回...土が衣食住に介在ー 農耕は穏やかな風化期に

第14回...一夜で失われる作土ー 日本は海外の農地を消費

第15回...肥沃な海外の「黒い土」ー 「黒ボク土」は農業に適さず

第16回...炭化で安定性を獲得ー 有機物の一部は微粒炭由来

第17回...高度な文明の遺産ー アマゾン「黒い土」の成り立ち

第18回...自然の仕組みを模倣 ー 有機物の循環で肥沃維持

新年のご挨拶...収量より多様性尊ぶ ー 遺産に残る南米先住民気質

第19回...止められない消耗 ー 有機物の豊否は過去の遺産

第20回...欠乏する微量要素 ー 化学肥料依存で農地荒廃

第21回...土が黒いから肥沃?ー本質は有機物の分解と蓄積

第22回...利点多い緑肥活用ー有機物と養分の補給が容易

第23回...肥沃な耕地が砂漠化ー止まらぬ略奪で農業は衰退

第24回...世界農業文明の盛衰ー真逆な遺産残す西進と東進

第25回...疲弊しない栽培形態ー日本の自然と調和する農耕

第26回...大和朝廷起こした稲作ー大規模な水田造成で農民統率

第27回...山間地では焼畑農業ー主に雑穀食べるオンナメシ

第28回...小規模農家切り捨てー大規模栽培で多様性は減少

第29回...植物自ら土づくりー団粒化阻む無理な耕うん

第30回...地球温暖化の防止策ー千分の四戦略で炭素を貯留

第31回...守らねば失う自然ー子供たちに託す土の未来

第32回...脅かされる生存権ー持続可能性への取り組み

第33回...遺伝子組み換え前提ー土壌侵食抑える不耕起栽培

第34回...方針の選択は慎重にー自然エネルギーの二面性

第35回...再利用できる廃棄物ー糞尿から発電、肥料に変換

第36回...人類絶滅への警告ー地層は活動の痕跡を刻む

謝辞

第1回(2021年4月1日):
寒冷化に伴い農耕 ー 間氷期の採集作物で準備pdf




 人間は肥沃な大地で農耕を始め、その肥沃な大地を食い尽くすと新天地を求め、生き延びてきた。しかし、すべての大地に踏み込んだ今の地球は人新世(ひとしんせい)とも言われている。これからも人間は生き延び続けられるのか、人新世では問われている。農業がこれまで歩んできた過程を振り返り、問いに応えるヒントを土壌科学者の帯広畜産大学名誉教授の筒木潔さんに聞いた。


◇◇◇


 最終氷河時代から亜間氷期(ベーリング・アレレード期)にかけては、人間は狩猟と採集によって生計を立て、気候の温暖化とともに遊牧も開始したと考えられているが、まだ農耕は始めていなかった。狩猟と採集で十分な食料が得られたからである。


温暖な中東から拡散


 その後気候が再び寒冷化し、1万2900年前のヤンガードリアス期と呼ばれる氷河期のような状態が約1300年続いた。農耕はこの時期に中東のメソポタミア地域で始められたと考えられている。寒冷化する気候の中でも残されたわずかな温暖で肥沃な土地で、間氷期に採集によって得ていた作物の原型となる植物を栽培することを覚えた人々は、他の人々よりもより有利に生き延びることができたし、その後の間氷期における気候最適期(アトランティック期とサブボレアル期)には人口を増やし文明を発展させることができた。

 これより少し遅れて、インド、エジプト、中国や中南米などでもそれぞれ独自に農業が始まったと考えられている。

 私が感慨深く思うことは、人類にとって逆境となった再寒冷化の時代に農耕が開始されたということである。


湿潤な森林で焼畑


 その後の気候の再温暖化とともに農耕をする人々とその技術は世界各地へと広がっていったが、湿潤で森林が卓越する地域においては、焼畑という形で農耕が開始された。このことはヨーロッパでも、日本を含むアジアでも、中南米でも同様である。


  焼畑においては森林の一画を伐採して焼き払い、そこで多様な作物を栽培するが、数年栽培するとその場所は放棄して別の場所で栽培を行う。栽培後の畑は栽培のために使用された期間の10倍以上の年月を経て再び森林に戻る。そして再び畑として利用される日を迎える。


 私は土壌有機物や河川水中の溶存有機物を研究するため数回マレーシアのサラワク州に滞在したことがある。サラワク州はボルネオ島の北半分を占めており、その南側はインドネシアのカリマンタン州である。そこにはまだ多くの焼畑民が生活しているため、その焼畑の実態について関心を持った。



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フィリピン・レイテ島北部ダナオ湖付近の焼畑


自然植生で肥沃判定


 サラワクの焼畑民出身の女性のイブリン・ホンが著した「サラワクの先住民」によれば、森の住民は植物の種類と土壌の質について科学的な知識をもっている。すなわち、彼らは自然植生によって土壌肥沃度を判定し、それぞれの土壌に合った作物を栽培している。また、樹木は再生可能な程度に小規模に伐採され、有用な木は伐採せずに残しておく。土壌は種をまく場所を掘棒で数センチ耕すのみである。したがって、彼らが行う焼畑は土壌を荒廃させず、破壊的な侵食をもたらすことはないと述べている。


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第2回(2021年4月11日):
自家米を焼畑で生産 ー 不作でも1.5倍以上にpdf

 

 マレーシアのサラワク州の焼畑民はほとんど2次林(雑木林)のみを利用して、十分な休閑期間を使って焼畑を行い、陸稲、トウモロコシ、サツマイモ、タピオカや多様な野菜類をそれぞれの作物に適した土地で栽培している。陸稲に関して言えば1年に138日から175日の労働によって、不作年でも年間家族消費量の1・5倍以上の、豊作年には3倍以上の米を生産することができる。

栽培期間は1年のみ

   焼畑として利用される期間は通常1年間のみであり、その後は休閑と地力回復のための2次林として管理され10年近く放置される。森林の側から見れば、10年に一度焼畑として利用されることにより、地上部の養分が土壌中に還元されるとともに、酸性や硬度などの土壌の好ましくない性質が改良される。有用な樹種が選抜・植林され、より価値の高い森林として育成されることになる。

   また、焼畑の周りの2次林や1次林(原生林)は狩猟、漁労、採集の場であり、森の住民にとって米以外の食糧需要と栄養補給の大きな部分をまかなっており、482種類もの天然の植物が食料、繊維、飼料、薬、建設資材、染色材料、装飾、燃料、狩猟用の毒、防虫剤、工芸材料、柵の材料として利用されている。さまざまな漁法によって捕えた魚は食糧全体の3分の1を占め、狩りやわなでしとめた動物は食糧摂取量の20%以上に相当したと報告されている。また、森林で採集されるシダ、タケノコ、キノコなどの山菜類は、焼畑や菜園で栽培される野菜類を補い、食事の内容を豊かにしている。

開発による環境破壊

   このような焼畑は現在、自然環境の破壊につながるとか、先住民の生活文化の向上に貢献しないなどの理由で政府によって禁止されたり、消滅が促進されたりしている。しかし、焼畑禁止の本当の目的は森に住む人たちを森から追い出して、大規模な林業のための森林伐採を容易にし、オイルパームなどのプランテーションを開設し、森の奥に水力発電ダムを建設するためであり、これらの開発行為による環境破壊の方がはるかに深刻だったのである。

   森林伐採業者は販売と輸出に適した大きな樹木を求めて、森林の中をブルドーザーで縦横無尽に動きまわり、伐採対象以外の樹種と林床植生をなぎ倒すばかりか、先住民の焼畑や2次林の中の果樹を踏みつけ、森林の表土を流出させ、河川を土砂で汚染している。

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   焼畑の原理は、自然の植生によって蓄えられた養分を作物の養分として利用することであり、また養分以外にも、休閑期間中に整えられた作物の生育に適した物理的、化学的、生物(微生物)的土壌条件を利用することである。

先進国にも焼畑原理

   農業生産のために必要な農地面積が拡大するに伴い先進国では焼畑が行われなくなってきたが、それでも焼畑の原理を代替する技術は近代農業にも生かされてきた。

   日本における森林と農業の結びつきの例としては、関東平野における雑木林と畑作の結びつきを挙げることができる。戦前までは、関東平野の台地上での畑作は入会地としての雑木林の存在と不可分であり、雑木林で採集された落葉が堆肥化されて畑地に施用されてきた。

  また、水田においても雑木林で採取された若木の茎葉や草が緑肥として施用されてきた。落葉堆肥は作物の病害を防止するうえでも効果があったようである(犬井正:関東の平地林―農の風景、宮本常一と歩いた昭和の日本13 関東甲信越③所収)。

 里山と農業の結びつきについては、日本各地の山村では普遍的に存在したものと考えられる。焼畑自体も昭和20年代まで日本の各地で行われてきたが、その後の高度成長期に入り終焉を迎えた。しかし、長年にわたる焼畑の経験は、衣食住の習慣、儀礼、年中行事、口承文芸、芸能、神社の儀式などを含む日本の基底文化の中に生き続けている。


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第3回(2021年4月21日):
世界で「千分の4戦略」 ー 土壌中の有機炭素増やすpdf

 

   農耕地への堆肥の施用は、国や時代を問わず最近まで幅広く行われてきたが、これは農業に携わる人間が森林で行われている自然のプロセスを長年にわたって観察・理解し、それを農耕地において模倣したものである(熊田恭一:土壌環境)。家畜糞尿(ふんにょう)や人糞尿を堆肥原料および肥料として使用してきたのも、自然のプロセスの観察の成果である。

有機資材を堆肥化

   農耕地の周りの雑草や灌木(かんぼく)の緑肥としての投入は、在来農業や熱帯の農業においてごく普通に行われてきた。しかし、従来は粗放な方法で行われてきた緑肥の利用も、現在では緑肥の種子を購入して栽培されることが多い。

   私は大学の学部から大学院にかけて「腐植酸」の化学的研究に携わってきた。この研究で学位を得たあと、大学の教員の職に就くのは当時から非常に困難なことだったので、1年半ほどポスドクとして出身研究室で研究を続けたのちに、国際稲研究所(IRRI、Los Banosフィリピン)の博士研究員に応募して採用された。国際稲研究所はミラクル・ライス(奇跡の米)と呼ばれた新多収短稈稲品種IR-8を皮切りにして多収稲の育種に成功し、稲作における緑の革命に貢献した研究所であるが、その土壌部門は多収稲を普及するための基盤つくりに貢献していた。多収稲を栽培するには土壌養分(肥料)が必要であるが、開発途上国の農民は経済的にまだ十分な肥料が買える状況ではなかった。 

        

目的は肥効以外も

   そのため、私を採用した土壌化学研究室の室長・Dr. Ponnamperumaは緑肥、イナワラ、堆肥などの活用を進めようとしていた。隣の土壌微生物研究室の室長・渡辺巌先生はアカウキクサ・アゾラの緑肥としての利用を進めていた。

   私は水田土壌に投入した有機物の分解過程と発生する温室効果ガスや低分子有機酸の動態についての研究を行った。その結果、有機資材を堆肥化してから投入することによってメタンや有害な低分子有機酸の発生を抑制できることを明らかにした。

   堆肥の投入も緑肥の栽培も単純にその肥料的効果だけが目的ではなく、その他にさまざまな効果が期待される。これは焼畑でも同様で、焼畑は木の灰によって養分を供給することだけが目的ではない。

微生物の生活支える

   土壌中の有機物はさまざまな土壌微生物の生活を支え、養分の保持と移動にかかわり、土壌粒子どうしを結合させて土壌に構造を持たせると同時に、空間や間隙を作り出し、水分を保持し、太陽からの熱を蓄えるなど、さまざまな機構によって土壌の生産力および肥沃度に貢献している。またそれ自体が生理活性物質や生長ホルモンのような役割をもち、作物の生育を促進させる場合もある。

   初期状態の農耕地は未耕地の土壌を耕うんして造成されるため、下層土の土壌が表層土と混じり、どうしても未耕地よりも土壌中の有機物含有率が低くなる。しかし、下層土との混合以外の理由でも、長年にわたる農耕地利用のなかで土壌中の有機物含有率は確実に減少している。それは農耕地で生産される有機物量および農耕地に還元される有機物量よりも、農耕地から持ち出される有機物量の方が大きいからである。また、有機物は微生物の栄養源でもあることから、分解されて消失する。

   さらに、土壌の耕うんは土壌有機物の分解を早める。そのことによって、土壌肥沃度において有機物が果たしていた役割を農耕地は享受できなくなる。したがって農耕地中の有機物は年月とともに失われて、総合的な土壌肥沃度が低下していくことになる。

人類に新天地は皆無

   世界の農業文明は農業生産力の低下によって次々に衰退し、荒廃地を残して新天地へと移動していった。アメリカ合衆国の初期の農地開拓においても、新天地は無尽蔵にあるという考え方から、農地の地力維持と保全が顧みられず、スタインベックの「怒りの葡萄」に表現されたような農地の荒廃がもたらされた。農業の大規模化と化学肥料への依存の進行とともに、農耕地の有機物含有率の減少と肥沃度低下は世界中でますますその進展を早めている。しかし、現在の人類に新天地は残されていない。

   土壌からの有機物の消失は農耕地の肥沃度低下をもたらすばかりでなく、大気中の二酸化炭素濃度を増大させ、気候温暖化を加速するという側面をもっている。その反面、土壌は陸上生態系中の最大の炭素貯蔵庫であり、人間が森林を守り、農業において土壌有機物の分解を抑制し、さらに有機物を土壌に還元するなどの手立てを尽くせば、気候温暖化の抑制に貢献することもできる。

   このことから、第21回国連気候変動枠組み会議(UNFCC, COP21、パリ2015)において、「食料の安全と気候変動緩和のための土壌:1000分の4戦略」が提案された。さまざまな方法を尽くして土壌中の有機炭素含有率を世界中で毎年1000分の4ずつ増やしていこうという提案である。任意の戦略ということで気候変動枠組み条約の基幹的な戦略には組み入れられてはいないが、食料と気候の危機に対して最も根本的なレベルで取り組む戦略であり、世界中の土壌科学者によって支持されている。

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大型コンバインによる小麦の収穫と薄くなった畑の作土層。北海道芽室町。


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第4回(2021年5月1日):
多様な効果ある緑肥 ー 炭素含有向上や排水性を改善pdf

 

 それでは、どうしたら土壌中の有機炭素含有率を高めることができるのか。植林、農耕地への堆肥の投入、緑肥の栽培などさまざまな方法がある。それぞれの方法に長所があり、どれが特に優れているということはできない。

 緑肥の利用については他の方法とくらべると、その普及度が低いように思われる。しかし、緑肥栽培と堆肥の投入を比べてみると、下記の表に示したように緑肥は堆肥と比べて勝るとも劣らない効果を持っていると考えられる。

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 上記の項目について少し補足すると、緑肥は農家の圃場内で生産するが、堆肥は圃場外から持ち込むものである(8-4)。作物を栽培しその収穫物を圃場外に持ち出すと、土壌から吸収された養分は失われるので、何らかの形で補給しないと、長い年月の間には土壌養分は枯渇することになる。そのため、堆肥や化学肥料のように圃場外から養分を補給することには意義がある。

 しかし、緑肥の場合、マメ科の緑肥は窒素固定によって土壌と作物体中の窒素を増やすことができる(6)。また、菌根菌と共生する緑肥は、作物と菌根菌の共生も促進し、リン酸その他の養分と水分の吸収を促進することができる(5)。菌根菌は土壌中の作物の根が到達できない領域まで伸長し、また難溶性のリン酸を溶解吸収することができるためである。

 ただし、堆肥や緑肥のみで作物が必要とする養分の全てを補うことは困難なので、農業試験場などが推奨する範囲で化学肥料などによる養分供給を行うことは必要であるが、堆肥や緑肥により化学肥料の必要量を大幅に節減することができる。

 また、菌根菌は多種類(ほとんど)の植物と共生することができるが、アブラナ科(緑肥のカラシナ・作物のダイコンなど)、ヒユ科(テンサイ・ホウレンソウなど)、タデ科(ソバなど)とは共生しない(9-3)。

 北海道北見地方はタマネギの特産地であり連作している農家も多い。連作によって生じる問題としては肥料の残留、作土の固結と排水性の悪化などがあるが、裏作としてライ麦を栽培することによりこれらの問題の解決につなげている農家を見学したことがある。ライ麦は過剰の残留養分を吸収し(7-2)、深くまで伸びる丈夫な根が透水性を改善する(3)。またタマネギの病害も抑制することができる(4, 4-1, 4-2)。

 緑肥の中にはヒマワリ、カラシナ(黄・白)、クローバー(赤・白)、レンゲ(ピンク)、アンジェリア(紫)など美しい花を咲かせるものが多いため、農村ばかりでなく農村を訪問する人たちのアメニティーの向上にもつながる(10)。

 先にも触れたが、私は学部から大学院にかけて腐植酸の研究に携わったことから、その後も土壌有機物に関連した研究を進めてきた。そのなかで、緑肥に関連した研究としては、ダイコン栽培における緑肥の有効性、イアコーン栽培の緑肥効果、カラシナによるファイトレメディエーションなどを研究した。これらの研究は、いずれも担当した女子学生さんたちの強い希望と努力によって行われた。以下にこれらの研究のエッセンスを紹介する。

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エンバクのすき込み。帯広市大空町


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第5回(2021年5月21日):
ダイコン栽培に緑肥 ー 含有成分は有意に増加示すpdf

 

 ダイコン栽培における緑肥の有効性を明らかにするためには、エンバク(ネグサレタイジ:タキイ種苗)およびヘアリーベッチ(豆助:雪印種苗)を畝間に播種・栽培した区と緑肥なしの区(対照区)を3連で設けた。これらの区に栽培適期が異なる3種のダイコン、春ダイコン(つや風:タキイ種苗)、夏ダイコン(耐病総太り:タキイ種苗)、秋ダイコン(緑輝:タキイ種苗)を栽培した。

3パターンで栽培

 春ダイコンについては、ダイコンと緑肥を共存させてリビングマルチとして栽培し、夏ダイコンは緑肥を畝間に刈り倒し、秋ダイコンは緑肥を土壌中にすき込んだ状態で栽培した。元肥としてパールユーキ(油粕と魚粉の混合物)をN として5kg/10a、苦土重焼リンをP2O5として8kg/10a、硫酸カリをK2Oとして8kg/10a、苦土石灰を80kg/10a、それぞれのダイコンを播種する2週間前に施肥した。

 それぞれのダイコンは2カ月から3カ月栽培したのちに、中央の畝から連続する10株を採取し、収量および品質を調査した。

 緑肥をリビングマルチ状態として栽培した春ダイコン「つや風」の場合、生育後半に緑肥がダイコンを覆い隠すようになり、日照を妨害した。また養分吸収も緑肥とダイコンの間で競合したものと考えられる。そのためダイコンの収量は対照区>ヘアリーベッチ区>エンバク区の順に減少した。他方、糖濃度(Brix%)とビタミンC濃度(ppm)はベッチ区とエンバク区で有意に増加し、ポリフェノール濃度(ppm)はエンバク区で有意に増加した。

高いポリフェノール

 播種後21日目に緑肥を畝間に刈り倒した夏ダイコン「耐病総太り」の場合、葉長・根径などは対照区との間に有意差を示さなかったが、根重はベッチ区およびエンバク区で有意に減少した。これは緑肥とダイコンの間に養分の競合があったためと考えた。品質のうち糖濃度(Brix%)およびポリフェノール濃度(ppm)はベッチ区とエンバク区が対照区よりも有意に高かったが、ビタミンC濃度(ppm)には有意差が認められなかった。

 播種2週間前に緑肥をすき込んだ秋ダイコン「緑輝」の場合、ダイコンの収量は対照区との間に有意差が認められなかった。品質としては、特にエンバク区の糖濃度(Brix%)とビタミンC濃度(ppm)およびカルシウムイオン濃度(ppm)が他の区よりも有意に高かったが、ポリフェノール濃度は各区の間に有意差を示さなかった。ただし「緑輝」のポリフェノール濃度はいずれの区でも非常に高かった。

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品種間に大きな差

 なお、品種ごとに成分濃度を比較すると、糖濃度(Brix%)は「緑輝」(6.0-6.5)>「耐病総太り」(4.3-4.7)>「つや風」(3.8-4.3)、ビタミンC濃度(ppm)は「つや風」(88-112)>「緑輝」(72-84)>「耐病総太り」(55-56)、ポリフェノール濃度(ppm)は「緑輝」(760-820)>「つや風」(510-620)>「耐病総太り」(330-410)、カリウムイオン濃度(ppm)は「緑輝」(1900-2100)>「耐病総太り」(1550-1700)>「つや風」(1400-1500)、カルシウムイオン濃度(ppm)は「耐病総太り」(132-140)>「緑輝」(60-80)>「つや風」(28-32)であり、いずれも品種間に大きな差が認められた。

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リビングマルチ。ダイコン品種:つや風


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第6回(2021年6月1日):
病害抑制の可能性も ー 軟腐病にポリフェノールpdf

 

 緑肥栽培が作物の病害抑制に及ぼす効果についても期待されている。本研究では、「つや風」の場合ヘアリーベッチのリビングマルチ区で30株中6株に軟腐病の兆候が認められたが、他の区では認められなかった。「耐病総太り」の場合、対照区で30株中3株、エンバク刈り倒し区で30株中2株に軟腐病の兆候が認められたが、ヘアリーベッチ区では認められなかった。「緑輝」の場合いずれの区でも軟腐病の発生は認められなかった。

 これらの結果から緑肥の種類および有無と軟腐病の発生との間には明瞭な関連が認められなかった。なお本研究では病害防除のための薬剤は全く使用しなかった。

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ポリフェノールの役割

 食品中のポリフェノールには、各種フラボノイド、単純フェノール、加水分解型タンニン、縮合型タンニンなどが含まれる。また本研究では還元性に基づく定量を行なったため、ビタミンCやビタミンEなどの還元性を持つビタミン類も同時に定量される。これらのポリフェノールおよびビタミン類は、抗酸化性、活性酸素の除去作用および抗菌性を持つことが知られている。従って、ダイコンの軟腐病の抑止においてもポリフェノールは貢献したものと推定される。また、食品中のポリフェノールが人体中に摂取されることにより、抗炎症作用、抗アレルギー作用、視覚機能改善、認知機能維持などに貢献することも明らかにされている。

緑肥共存は収量減少

 以上の結果が示すようにダイコンと緑肥を共存させて栽培するとダイコンの収量は減少するが、緑肥を刈り倒しあるいはすき込みすることにより収量の減少は抑制することができた。他方、ダイコンの品質に関しては緑肥の共存、刈り倒し、すき込みのいずれの場合でも、糖濃度(Brix %)、ビタミンC濃度(ppm)、ポリフェノール濃度(ppm)およびカルシウムイオン濃度(ppm)のうちの複数の項目の値を増加させることができた。特にエンバクを緑肥として用いた場合にその効果が顕著であった。しかし、短い期間では収量増大をもたらすことはできなかった。

 上記のダイコン栽培における緑肥の有効性に関する研究は、私が定年後の再雇用期間に学部生として指導した宮内絢子さんが2015年から2016年にかけて行った研究である。宮内さんの卒業および私の退職によってその後の反復実験を行うことはできなかったが、緑肥栽培がダイコンの品質に良い影響を及ぼすことなどの興味深い成果が得られたと考えている。

生産量より高い品質

 農家は、より大きな農産物やより多くの農産物を生産するよりも、より品質が高く、安全な方法で栽培された農産物を毎年安定して供給できることの方が、市場および消費者によってより高く評価される。

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ダイコンの軟腐病


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第7回(2021年6月11日):
土づくりで地力維持 ー 高品質で安定生産に活用pdf

 

 一般に緑肥の栽培は作物栽培を休閑して行われる。また緑肥の効果は化学肥料や農薬のようにすぐに現れるものではない。そのため、一時的に減収につながる恐れもあることから、農家さんはその導入を躊躇(ちゅうちょ)することも多いと思う。

ニンジンが連作可能

 スガノ農機株式会社が2003年以来製作している「ヒューマンドキュメンタリー」という一連のDVDでは、緑肥の栽培を地力維持の基本として、高品質な農産物の安定生産に活用している篤農家さんの例を多く紹介している。そのNo.2、No.9の熊本県菊陽町、本田和寛さん・亮希さんの「大自然ファーム」では、ギニアグラスを緑肥として栽培して深くすき込むことによって、長年にわたるニンジンの連作を可能にしている。No.10の千葉県成田市、瀧島敦志さんと秀樹さんも緑肥エンバクで土づくりをしながら高品質なニンジンを長期連作している。

面積控え高品質生産

 同じくNo.10 の北海道留寿都町、玉手博章さんは贈答用の馬鈴薯(ばれいしょ)キタアカリを受注生産しているが、その土つくりの基本は飼料用デントコーンの栽培とすき込みであり、面積の拡大を控えながら高品質な馬鈴薯の生産を続けている。

 No.11の岩手県滝沢村、庄司有弘さんと敬介さんは、4ヘクタールの農地の3分の1で長芋栽培を行い、残りの3分の2の農地ではイネ科牧草と赤クローバーを混植して地力維持を行なっている。このことにより、気候不順に影響されずに高品質な長芋を安定的に生産している。

冷害年でも安定収量

 同じくNo.11の北海道河西郡芽室町、吉本博之さんは畑輪作農家であるが、30ヘクタールの農地のうちの7〜8ヘクタールを緑肥(最近ではデントコーン、以前は赤クローバー・チモシー栽培と堆肥散布)にあて、残りの22ヘクタールで通常農家の30ヘクタール分に相当するかさらに上回る畑作物の収量を上げている。しかも冷害年でも安定収量が得られている。

 これらの例は、緑肥栽培によって地力が維持され、高品質な農産物を安定的に収穫することができ、農地面積が少なくても高収益が得られることを示している。


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吉本氏と芽室町平均との収量の比較


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第8回(2021年6月21日):
畑で耕畜連携を推進ー 生産性と品質の向上図るpdf

 

 北海道の道東十勝地域で行われている畑輪作は、生育形態が異なる4種類の作物を順次栽培することにより、収穫残渣(ざんさ)の還元も含めて地力の維持を図るという優れた栽培体系であるが、それでも収穫物の圃場外への持ち出しを行っているかぎり、農地に還元される有機物の量は減少し、長い年月の後には地力の低下を避けることができない。緑肥栽培および堆肥の施用などの土つくりを行うことにより、地力を維持して高品質な農産物を安定的に生産することができる。さらに、高収入にもつなげ、次世代に肥沃度の高い農地を引き継ぐことができる。

輪作に緑肥栽培追加

 4年の輪作に加えて1年間あるいは2年間の緑肥栽培期間を追加するとか、畜産農家の飼料畑と畑作農家の農地を協同経営して牧草を輪作体系に加えるなどの試みは、長い目で見れば地力の維持と農産物の生産性と品質の向上に大きく貢献することができると考える。

 このような耕畜連携に関連しては、北海道農業研究センターとの共同研究として、2009年から2011年にかけて黒ボク土畑圃場におけるイアコーン収穫残渣のすき込み効果について研究した。この研究は学部から修士課程にかけて酒井麻子さんが精力的に進めてくれた。また帯広畜産大学内圃場での春小麦栽培による追加研究は学部生の岡村廉君が、土壌団粒の分析は別科生の長濱聡志君および稗田陵佑君が担当してくれた。

イアコーン栽培促進

 イアコーン栽培の促進は、日本の畜産業界における濃厚飼料の海外依存を緩和するために提案された方策である。しかし日本では濃厚飼料の生産に向けた土地が不足しているため、畑圃場での生産を視野にいれた耕畜連携を推進する必要がある。イアコーン栽培においては雌穂(イアコーン)のみを収穫し、茎葉などは圃場へ還元する。

 トウモロコシはバイオマス生産が旺盛なため、収穫残渣および根系のみでも多量の有機物を土壌に還元することができ、緑肥として土壌肥沃度の向上に貢献できる。また、イアコーンを酪農家に販売することにより単なる休閑ではなく畑作農家の収入に結びつけることができる。

すき込みで硬度減少

 家畜改良センター十勝牧場においてイアコーンを1年間栽培した圃場、2年間栽培した圃場とイアコーンを栽培しなかった圃場(対照区)において移植テンサイおよび大豆を栽培し、生育経過、収量、土壌の性質などに及ぼす効果を研究した。

 イアコーン収穫残渣のすき込みにより、土壌団粒の増加や保水性の向上、土壌硬度の減少など土壌物理生への影響が最も大きく現れた。また、土壌中の熱水抽出性窒素や有効態リン酸、塩基等が増加した。これらの効果はイアコーン単年栽培区よりも2年連続栽培区で著しかった。

 大豆およびテンサイの収量も、イアコーン単年栽培区および2年連続栽培区の双方で増大したが、2年連続栽培区での増収効果が著しかった。品質に関してはイアコーン2年連続栽培跡地でのテンサイの糖分含有率の増加が著しかった。

緑肥栽培の代替に

 この研究からイアコーン栽培期間が長いほど土壌改良効果および跡地圃場で栽培した作物の増収効果が著しいことが明らかとなった。イアコーン栽培は酪農家の飼料畑で行うこともできるが、畑作農家の輪作体系に組み入れて行うことができる。イアコーン栽培は緑肥栽培の代替となり、長年継続すれば畑圃場の地力保全に貢献できると考えられる。

 酪農家と畑作農家の連携は、家畜ふん尿由来の堆肥や液肥(バイオガスプラント消化液)の畑地への導入にもつながる。緑肥栽培と同様に、これらは地力増進の大変有効な手段であるとともに、畜産廃棄物の適正な処理および地球温暖化抑制対策にも貢献できるので、今後ますます推進させる必要がある。


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イアコーン収穫残渣の緑肥効果:イアコーン収穫機と収穫時のイアコーン


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第9回(2021年7月1日):
進化で食の内容変化ー 土壌侵食で疲弊する養分pdf

 

 「人類の進化の実に99%以上の期間、食料を生産することなしに生活してきたことになる。」(山極寿一:ヒトはいつから火を使いはじめたのか、火と食 ドメス出版2012 朝倉敏夫編所収)。

自然の食料に依存

 人類は地球の寒冷化によって熱帯雨林の食物が減少するに伴って、二足歩行の能力を獲得して食料の獲得の範囲を草地へと拡大し、さらには火の使用によって食料を調理・加工し、脳の発達を伴う独自の進化を可能にしてきた。人類は進化に伴い、食料の内容を変化させてきたが、現代の食料は人類が動物として要求する栄養分を完全に供給できるのだろうか?人類が食料を生産せずに自然の食料に頼っていた時代の多様な食料があってこそ、人類本来の健康と体格を維持できるのではないか?

 人類がつい最近の時代まで行っていた焼畑農業においては、多様な作物が栽培され、休閑中の2次林やそのまわりの原生林中で採集される動物性および植物性の食料は先住民の基本的な栄養源であった。また、栽培された作物は森林の休閑期間に蓄えられた完全な土壌養分を吸収し、その栄養価も高いものが生産された。他方、現代の農業においては、長年の連作や土壌侵食によって、土壌中の有機物や養分も疲弊し、作物自体にも完全な養分を供給できなくなっている。そのため現代人は、かつて人類が享受していた自然の恵みを受け取ることができなくなっている。

近代食品で免疫低下

 アメリカの歯科医師W. A. プライス博士は、1939年に「食生活と身体の退化- 先住民の伝統食と近代食 その身体への驚くべき影響」(片山恒夫/恒志会訳 農山漁村文化協会 2010)という本を著している。この研究で博士は世界14カ国の先住民を訪問し、伝統的な自給食の生活をしている人びとと、同じ民族で白人の近代食生活へ移行した人びとの口腔内の状態、顎顔面(がくがんめん)の形態変化や身体変化について生態学的調査を行った。

 その結果、伝統的な自給食を摂っている人びとは完璧な歯列を持ち、虫歯がなく、結核に対する強い免疫力を持ち、体格もよく総合的に優れた健康状態を示していた。他方、このような先住民が精白小麦、白砂糖、植物油、缶詰などの近代食品を摂り始めると、虫歯、顎の変形、歯並びの乱れ、関節炎、そして結核に対する免疫力の低下がすぐに現れることが明らかとなった。

疾病率や死亡率増大

 さらに、土壌の消耗が動植物の退化に及ぼす影響についても言及し、食物は土壌の肥沃度に支えられていることを、自身の考えにより、また他の章ではW. A. ウルブレヒト博士の研究成果を引用しつつ詳細に主張している。

 プライス博士は、農耕および牧畜によって土壌中の養分が確実に減少し、それを補わないかぎり土地は荒廃し、そこで生産される作物や乳製品に含まれる養分も減少すると述べている。それに伴って人間や家畜の疾病率や死亡率も増大することをデータによって明らかにしている。

肥沃土壌獲得で戦争

 ウルブレヒト博士も同様の見解を示しているが、過去の世界戦争の動機の一つに肥沃な土壌の獲得という目的があった。その反面、土壌肥沃度の維持には真剣に取り組んでこなかったこと、野生動物の分布、家畜の現状および分布状態、動物の病気の現れ方、人口の分布などが土壌の肥沃度を反映していること、動物は本能に従って必要な栄養を適切に補っていることなどを興味深く述べている。

 動物は同じ種類の餌でも養分の多いものと少ないものを一目で見分ける能力を持っている。それに反して人間はそのような能力を失ってしまったようであり、生鮮品・加工品をとわず単純においしそうなもの、甘いもの、見た目の良い食料が求められている。


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英国スコットランドのハリス島の先住民ゲール人の兄弟で、近代食品を食べ続けた弟(右下写真左)は重度の虫歯だが、土地のものを食べている兄(右)は健全な歯並びをしている。


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第10回(2021年7月11日):
生存環境劣化に対処ー 有機農産物の適正評価をpdf

 

 土と養分の関連については、多くの野生動物や鳥類および家畜が土を直接なめて摂取することが知られており、そのような場所を土なめ場と呼んでいる。また人類も世界中の各種民族に食土の習慣がある。このことを最初に報告した科学者はドイツのアレクサンダー・フォン・フンボルトであり、南アメリカのオリノコ川流域を探検中に食土の習慣をもつ民族を発見している(1800年6月)。

土壌を料理に利用

 日本のアイヌ民族も、土を料理に利用していたことが知られており、料理用の土が採取された場所には「チエトイ」という地名がつけられていた。私も学生さんとともにこのチエトイ土壌について数年にわたって研究した。アイヌ民族が土壌を料理に利用した目的については、ミネラル補給のためとか、野草に含まれるアルカロイドなどの有毒成分を吸着させて除去するため、においの強いクロユリなどの球根類を調理する際にそのにおいをやわらげ味を整えるためなどのことが考えられるが、はっきりしたことはわかっていない。

飽食のなかで退化

 現代人は経済的繁栄と飽食のなかで、健康と体力という人間としての基本的特性に関しては退化を余儀なくされている。脳は人体のなかで最もエネルギーを必要とする組織である。しかし脳が必要とするのは単にエネルギーだけであろうか。脳に対しても完全な養分が供給されない状態が続くとその能力および精神活動にも影響が現れるのではないだろうか?戦争、犯罪、社会的偏見、差別と格差、貧困、うつ病の増加などの社会現象を考えると、現代人の方が先住民よりも精神的に優れているとは言えない側面も多々あると思う。

 人類は寒冷化などの自然環境の変動を契機としてこれに対処するために進化してきたが、現代では自らが引き起こした生存環境の劣化に対処しなくてはならない状態になっている。

 先住民による焼畑は栄養学的には非常に価値の高い食料を生産していると言える。私も国際稲研究所(IRRI)の博士研究員としてフィリピンに滞在していたころ、村の市場で売られていたサナドミという陸稲が香りも良く美味なので、自宅用にはもっぱらこの陸稲を購入していた。同じく市場や道端で売られていた野菜類や果物も不揃いではあるが美味しかった思い出がある。

  

エコツアーを提案

 これらの農産物は現地では非常に低価格で売られているが、その価値を正当に評価して都会生活者や海外の消費者にも流通させることができたり、先住民の生活を体験できるスタディツアーやエコツアーを実施すれば、先住民を支援することができるとともに、現代人の啓発につながると思う。

 日本でも農業者の高齢化や農業従事者の減少に伴い、地力の維持に手間がかけられなくなっている。その結果、農地土壌の荒廃と生産物の栄養的な品質低下が懸念される。しかし、目先の利益にとらわれずに、緑肥栽培や有機物の施用を継続して行うことにより、地力が保持され、より高品質な農作物を安定して供給できることが多くの篤農家さんによって示されている。

 これらの農産物の価値は既にそれぞれの得意先によって評価されているが、手間をかけて安全に生産された栄養価に富む有機農産物の価値が消費者によって正しく評価され、このような生産方法がより広く行われるようになることが望まれる。


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マレーシア・サラワク州ムカの市場で売られていた野菜と果物


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第11回(2021年10月1日):
全生物に食料供給ー 命支える18cmの地表土壌pdf

 

 地球上の陸地の表面は、岩石が熱や水の作用によって粉砕された細かな無機質の粒子によって覆われている。約6億年前に地衣類などの植物の祖先が海中から陸上に進出するまではそこに生命は存在していなかった。

生命宿した「土壌」

 4億年前には初期の陸上植物まで進化が進み、炭酸同化作用によって空気中の酸素濃度も増加していった。また陸地表面の無機質の粒子には植物の遺体が混じり、微生物も加わり、生命を宿した「土壌」が誕生した。土壌は植物へ養分を供給し、さらにシダ・ソテツ類、針葉樹、広葉樹、草本類への進化を支えてきた。

 前回の連載でも触れたが、私は大学で土壌有機物(腐植)を研究していた。「土壌有機物」とは土壌中に含まれる有機物全般のことをいうが、生きている動植物、植物の根、もとの形状を残している動植物の遺体などは含めない。

 また「腐植」とはもともとは植物が腐ったものという意味で、「土壌有機物のうち、暗褐色ないし黒色を呈する部分である」とする定義もあった。しかし、実際的に腐植と腐植以外の部分を分別することは困難なので、現在では「土壌有機物」と「腐植」は区別されていない。

 土壌有機物のことを英語で”Humus”と言うが、この“Humus”という言葉の語幹”Hum”が他にも様々な言葉に使われている。“Human”(人)、“Humidity”(水分)、“Humble”(質素な、飾らない)、“Humility”(謙そん)、“Humor”(ユーモア)などである。なぜなのだろうかと気になっていたが、「犬養道子自選集3」(岩波書店 1998)の「人間の大地」という章に説明してあることに気がついた。

土から創られた人間

 “Humus”はもともとラテン語で「土」というもっと広い意味を持っていた。腐植に富んだ黒い土は生命力にあふれているので、のちに“Humus”という言葉が腐植に対して使われるようになったのだろう。そして「人間(Human)は土(Humus)から生まれた」という概念が多くの民族によって信じられてきた。旧約聖書の創世記でも、人間(Adam: ヘブライ語)は土(Adamah)から創られたと述べられている。

  

 “Humidity”(水分)もまた生命にとって不可欠なものである。“Humor”も同様に湿気、水分、体液を示す言葉であり、これらが人間の精神状態に影響すると考えられたので「ユーモア」という意味に転じたものと思う。

 “Human(人間)”, “Humus(土・腐植)”, “Humidity(水分・湿度)”, “Humor(ユーモア)”はいずれも根源的で不可欠な存在なので、“Humble(質素)”とか“Humility(謙そん)”という言葉もそれに伴って生まれたものと思う。

厚さ1億分の2.8

 土は陸地の表層18cmを覆っているにすぎない非常にはかない存在である。この18cmという値は、国連の機関であるFAO(国連食糧農業機関)とUNESCO (国連教育科学文化機関)が共同して世界中の農耕地土壌に関する情報を集約し、各種土壌の分布面積と、それぞれの土壌における平均的な作土層の厚さから計算して導きだしたものである。地球の半径が6400kmであるので、平均的な作土の厚さはその1億分の2.8に過ぎない。

 地球を直径1mのボールに例えると、その表面に付着した1.4マイクロメートル程度の細菌のそのまた細胞膜程度の厚さしかないことになる。土壌は「地球の皮膚」としてたとえられることがあるが、実際はそれよりもはるかに薄い土壌において地球上の全人類と動物の食料が生産されているのである。

 この薄い土壌の中に生息する微生物とここに根を張る植物およびそれに依存する動物は、40億年におよぶ地球生命の進化と、生命が陸上に進出した6億年前以来の生命活動の賜物である。ところが人間が農耕を始めて以来、人間は土を自分たちだけのもののように扱い、さらにその貴重さと脆弱性に気づかないままに、まさに足元の土を崩し壊し続けている。

謙虚な気持ち不可欠

 犬養さんは、人間が土に接する場合、それを「お借りしている」という謙虚な気持ち“Humility”が不可欠だと述べている。「土を支配し、土の資源を使い尽くす」という人間の傲慢な態度が現代の土壌荒廃をもたらしている。


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第12回(2021年10月12日):
子孫から大地借用ー 平和の民「ホピ族」の口伝

 

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 前回は人間が土に接する場合、それを「お借りしている」という謙虚な気持ち“Humility”が不可欠だという犬養道子さんの言葉を紹介した。

 土を誰からお借りしているのかというと、人それぞれの世界観、宗教観、思想によって異なってくるが、ネイティブアメリカンのホピ族には次のような口伝が残っている。

 「私たちのこの大地は親や祖先から相続したものではなく、私たちの子孫から借りているものである」(ホピの箴言=しんげん=教訓)。

 私はドイツのハンブルク大学に博士研究員として留学していた頃、ハンブルク市の環境局発行の土地利用計画に関するパンフレットに書いてあったことからこのホピの口伝を知り、その後大学の講義のなかでもこの言葉を伝えてきた。

生き物の存立基盤

 パンフレットの中では、ホピ族のこの口伝は以下のように解説されていた。

 「私たちは自然物としての土壌、水、空気が地上における全ての生き物の存立基盤であることを知っている。したがって、私たちはこれらの生存基盤をそこに存立する植物界や動物界とともに、注意深く保護し、育み、発展させていかなくてはならない(ハンブルク市環境局による解説)」

 ホピ族はアメリカ合衆国アリゾナ州北部の6000 km2(参考:茨城県の面積6097 km2と同じくらい)の保留地に居住する人口約14000人の先住民である。「ホピ」とは彼らの言葉で「平和の民」という意味である。ホピ族の人々は他の部族との争いを好まず、ロッキー山脈内でテーブルマウンテンを形成する標高1370 – 1680 mの乾燥した地域にたどり着いた。

 年間の降水量は 150 – 250 mmで、雪融け水と夏のわずかな雨に依存している。他の部族も後からやってきた白人たちもこの土地に興味を示さなかったため、ホピ族は2000年近くもの年月この土地に留まることができた。彼らが耕す土地は有機物にも水分にも不足しており、利用にあたっては細心の注意が必要であったため、土地や土に対する謙虚な考え方が醸成されたものと推察される。

 ホピ族は自給のために多種類の豆や4色のトウモロコシを栽培し、カボチャ、ウリ、アマランスその他多くの野菜も栽培している。トウモロコシは広い間隔で深く播種され、降水量が少ないにもかかわらず灌漑は行わず、降雨と土壌水分のみに依存した栽培を行なっている。ただし野菜はテラス状の菜園で栽培し灌水している。農作業は人力または小さなトラクターにより、最小耕起法で行われる。個々の圃場は0.4 – 0.8 ヘクタールと広くなく、毎年移動することによって地力低下を補ってきた。

 肥料、除草剤や殺虫剤は従来使用されてこなかった。ヤギとヒツジの牧畜も以前には行われていたが、過放牧が土壌荒廃を起こすので、連邦土壌保全局の指導により現在では行われていない。


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ホピ族保留地の周辺 (Google map より)

責任ある接し方

 ホピ族に限らずアメリカ先住民は口承によって民族の歴史や教訓・予言を伝えているが、バランスを失った現代の物質文明や世界大戦に関する警告が彼らの予言に含まれていたことから注目を浴びた。彼らの教訓や予言は、その厳しい環境下で育まれた謙譲、協力、尊敬、土地や自然に対する責任感ある接し方に基づくものである。

 その後彼らの居住地域周辺でウランや石炭などの地下資源が発見されたため、これらの採掘のために一時彼らの居住権が脅かされたが、採掘企業がホピ族に補償金を支払うことで合意した。

 前述で紹介した伝統的な農法で耕される農地や農民の数は現在では著しく減少し、住民は主に公共事業や私企業での雇用労働によって生計を立てている。生活様式や食生活も著しく変化し、糖尿病や肥満を患う人々の割合が高くなっているとのことである。

 ホピ族は多種類(1930年代の調査では47種類)の山菜を日々の食材および救荒食料としてきたが、現在ではほとんど利用されていない (Johnson, Tai Elizabeth, 2016. アリゾナ大学博士論文)。先住民族の知恵と文化が現代文明に飲み込まれていく状況は何処の国でも同様である。


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ホピ族保留地の中心近くにあるKykotsmovi village (Google map より)

「土」と「壌」の違い

 土と生命の関係については、漢字の成り立ちにも表現されている。中国でAD100年頃、後漢の時代に著された「説文解字」という漢字辞典では、「土」という字を次のように説明している。

 「地之吐生物者也。二象地之上、地之中,物出形也」

 すなわち、地が生物を吐き出す様子を表している。「二」は地の上(表層土)と地の中(下層土)を示し、ここから物が出てくる形を表している。すなわち「土」という漢字は、土が生命活動と深く関連していることを表している。他方、「土壌」の「壌」は「柔土なり。塊なきを壌という。」と説明されている。すなわち「壌」は土が熟して変化変質したものであり、耕地土壌を示している。

 「説文解字」よりもさらに古く紀元前の周の時代に著された書「周礼」には、「万物が自生するところすなわち“土”といい、人の耕して栽培するところすなわち“壌”という」と書かれている(「土と日本古代文化」、藤原、1991)。


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「土」と「壌」の違い

 今度は「生」という字の成り立ちを調べてみると(「説文解字」はインターネットで検索することができる)、「土」という字の中の「I」の画に「U」の字に似た画を重ねて、土から萌え出てきた木に枝や葉が繁るようすを表したものがその本来の形だったようである。すなわち「生」も「土」もほとんど同じ概念のもとに生まれた漢字であった。

人は土から生まれた

 私は最初「生」という漢字を見ていて、これは「土」という漢字に「人」という漢字を重ねたものではないかと考えた。残念ながら「説文解字」ではそのような説明はしていなかったが、「人は土から生まれた」ないし「人は土に生きる」という概念は人間の深層心理を反映するものとして不合理ではないと思う。



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「土」と「生」という漢字の成り立ち


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第13回(2021年10月21日):
土が衣食住に介在ー 農耕は穏やかな風化期に

 

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 人類はその食料の95%以上を土に依存している。食料に限らず衣食住のほとんど全てが土を経て創られたものである。人間の生き方の様式を「文化」とするならば、人が住んでいるその土地の土の性質が文化に反映されるのは当然のことだろうと思う。

農耕可能は風化過程

 岩石は地表に現れたあと風化作用を経て土になっていく。藤原彰夫先生は「土と日本古代文化」(博友社、1991)のなかで、過酷な風化作用として寒冷な針葉樹林地帯における「ポドソル土風化」、高温多雨の熱帯地域における「ラトソル風化」、砂漠地帯における「砂漠土風化」があると述べている。そしてそれらの中間に穏やかな風化過程が存在し、そこでは農耕や牧畜が人間の生業となった。

 それぞれの風化過程で土はその最終的な形である「ポドソル土」、「ラトソル土」、「砂漠土」へと変化していくが、この3種の土の相互の間と風化の中間的な時期に相当する土壌のみが人間をはじめ生物の利用可能な土壌であると述べている。すなわち、土が生まれてから死にいたるまでの適当なある時期しか人間は農耕、牧畜用として土を利用しえない。

 「ポドソル土」および「ラトソル土」はそれぞれ冷寒帯および熱帯の森林植生を支えている。どちらの場合も樹木は土壌表層に堆積した有機物層との間で養分を循環させており、それ以下の土壌層位は酸性および養分不足により作物生産には適していない。熱帯の森林では再生を妨げない範囲の焼畑農業のみが可能である。砂漠土壌は水分不足と養分不足があいまって植生を支えること自体が困難である。


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ポドソル土、ラトソル土、砂漠土

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水田が日本の文化

 藤原氏は人間の文化がそれぞれの地域の土壌に大きく影響を受けているとし、ポドソル土文化、赤黄色土文化、黄土文化、草原土文化など土壌の種類と対応した各種の文化の存在を例証したが、日本の文化に大きく影響を及ぼしたのは褐色森林土・火山灰土文化(焼畑文化)と水田土文化である。

 他方、松本健一氏によれば「文化」とは個々の民族の生きるかたちであり、「文明」は民族の違いを乗り越え、共通した風土と歴史のうえに普遍的に築きあげられる社会や生活のしくみのことをいう。松本氏は、人間が生活している土地の成り立ちが文明の様式に著しい影響を及ぼしたとして、砂の文明、石の文明、泥の文明が区別されると述べている(「砂の文明・石の文明・泥の文明」PHP新書2003)。

 「砂の文明」は、砂漠地帯に発達した非定住で遊牧と交易を生業とする「ネットワークする力の文明」であり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教を生み出した。「石の文明」は、岩盤上の薄い土壌の上で牧畜を生業として発達し、衰退とともに次々に根拠地を移していったヨーロッパの「外へ進出する文明」である。現在、ヨーロッパおよび北アメリカでは徹底した土壌保全事業と手厚い農業農民保護政策によって農耕地の劣化をくいとめている。

共生理念を生む泥

 「泥の文明」は、日本、東南アジア、インド東部を含む湿潤温暖なアジア・グリーンベルト圏に発達した定住の農耕文明であり、生命力にあふれた「泥」が、「内に蓄積する力」を秘め、共生の理念に基づく社会を生みだした。「泥の文明」においては主要な土地利用形態が水田農業であり、水田は土壌肥沃度の低下が非常に少ないので、ほぼ永続的な農業が行われている。

永遠不滅ではない

 このように、人間の文明と文化の基盤は土にあるが、それらは永遠不滅のものではないので、土が荒廃すればその上に立つ文明と文化も荒廃することになる。


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山麓の上部まで400年近くも続く岐阜県恵那市坂折の棚田(2005年9月著者撮影)


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第14回(2021年11月1日):
一夜で失われる作土ー 日本は海外の農地を消費pdf

 


 土壌の深さは地球全体で平均すれば18cmしかなく、非常に壊れやすくはかない存在である。従って、人間の土への関わり方がより活発になるに伴って、土壌の荒廃が著しくなってきた。

 その例としては、土壌肥沃度の低下、酸性化、土壌汚染、土壌侵食、表土流出、乾燥化、砂漠化、塩類集積、アルカリ土壌化などを挙げることができる。世界の全農耕地面積約15億ha(穀物収穫面積6.7 億ha)のうち25%がこれらの土壌劣化の影響を被っており、4.3 億haが風食により、4.7 億haが水による土壌侵食を受けている。

2.5 cmを100 年

 表土が新たに作られる機構としては、母岩の風化、水による新しい土壌の運搬堆積、火山灰やレスの風積などが考えられるが、アメリカの農務省は2.5 cmの土が作られるためには100年から500年が必要と見積もっている。すなわち18 cm の土は720年から3600年をかけて作られたものである。

 しかし、風食や水食によって土壌が失われる速度はこれよりもはるかに速い。アメリカ合衆国中部の農地では毎年2mm以上の農地土壌が土壌侵食により失われている。これは90年で作土が失われる速さである。

高原の畑で土壌侵食

 日本においては高原・丘陵地の畑で極端な土壌侵食が記録されている。岐阜県郡上市高鷲町のダイコン栽培産地では10aあたり平成9年に10.8t、平成10年に8.6tの土壌流出が起こった。平成10年は畝間に麦を栽培するなどの対策を施したうえでの流出量である。10aあたりの作土の土壌量を200tと見積もると、20年で作土が失われてしまうことになる。

 また、群馬県嬬恋村のキャベツ畑において作土の厚さを計測したところ、1979年に35cmあった作土が、1984 年に28cm、1989年に22cm、1994年に18cmにまで減少していた。多くの洪水や土砂災害では18 cm程度の作土は一夜にして失われる。

 土壌侵食の速度には年間降水量や土地の傾斜度が関わっている。日本では激しい雨が多量に降り、しかも地形も急峻なので土壌侵食の危険度は非常に高いと言える。

回復困難な転換農地

 さらに、近年日本の農耕地面積は著しく減少し、その農地としての回復は困難な状態である。肥沃な農耕地が失われるということは、荒廃以上に深刻なことではないだろうか。いったん畑地に転換した水田は、水分保持能力の低下などから再び水田として利用することが困難である。住宅地や他の産業用に転換された土地を再び農耕地に戻すことはさらに困難である。農耕地が失われるということは、農業者とその営農知識および経験が失われることであり、農業の復興が困難となる。

 また、日本は不足する食料を海外からの輸入によって補っており、日本の農耕地面積の約2倍に相当する海外の農地が日本で消費される食料を生産するために使われている。そしてそれらの海外の農地で土壌荒廃が進んでいる。

 気候変動も食料生産の不安定性に拍車をかけている。世界の食料生産と国際関係が不安定な状況において、お金さえ払えば日本人が必要とする食料をいつでも輸入できるとは限らない。2・3年の異常気象や国際不安が発生すれば、国民が飢えに瀕することは目に見えている。

国内木材は不採算

 森林についても同様に、日本の森林面積はそれほど減っていない。このことの背景としては、海外からの木材製品の輸入が日本国内の森林の減少を抑制しているという現実がある。他方、面積が減少していないかたわらで、日本国内の林業は不採算となり、森林の管理が行き届かず、放置された森林が増えている。また日本が木材製品を海外から輸入することによって、海外の森林の減少と荒廃が促進されている。


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傾斜方向に土壌侵食が進ん北海道・富良野町の傾斜地につくられたデントコーン畑(2006年7月著者撮影)


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第15回(2021年11月11日):
肥沃な海外の「黒い土」ー 「黒ボク土」は農業に適さず

 

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 海外では黒い土は肥沃な土の象徴である。ヨーロッパから中央アジアにかけて広がるステップ、北アメリカのプレーリー、アルゼンチンのパンパスなどの草原の土壌はチェルノーゼムと呼ばれ、腐植に富む肥沃な黒い土壌である。チェルノーゼム土壌は柔らかく、角の無い中小の土塊からなり、表層には団粒構造も発達している。黒い土壌層の厚さは場所にもよるが1メートル近くもあり、小麦などの作物の根は黒い土壌層位の最下端にまで達している。ミミズが深部にまでたくさん生息しており、これを食べる地ネズミもトンネルを掘っている。

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典型的なチェルノーゼム土壌地帯の小麦畑 Söllingen, Niedersachsen, ドイツ
土壌見学旅行の際に著者撮影

豊富なカルシウム分

 土層下部にはカルクキンドル(石灰小僧)という石灰質の凝集体があり、カルシウムに富んだ土壌であることを物語っている。作物は容易に下層土まで根を伸ばし、下層土からもミネラルに富んだ養分を吸収することができる。この土壌は非常に肥沃であり、小麦を栽培すれば1ヘクタールから8トンもの収量を上げることができると聞いた。

 チェルノーゼム土壌はカルシウムに富んだレス(風成塵)の上に生成した土である。氷河時代に氷河が移動する際に岩盤を構成する石灰岩が粉砕された。氷河が退却したのちに残された石灰岩の粉末が偏西風で飛ばされたものがレスである。特にヨーロッパの地質は石灰岩に富んでいるため、内陸にかけてレスが堆積した。

粘土鉱物に吸着

 レスが分布しているのはドイツから東欧内陸部にかけての地域であり、大陸性の半乾・半湿気候下で降水量が少なく、自然状態では草原植生が卓越することもチェルノーゼム土壌の生成と関係している。

 その他の地域では、北海・バルト海沿岸の泥炭地、氷河によって土壌が削られたドイツのハイデ地方や、石灰岩の岩盤が露出した丘陵地などの痩せた土地も多い。これらの土地は草地、酪農地や樹園地として利用されている。

 私がドイツのハンブルク大学に留学していた際の主な研究テーマはチェルノーゼム土壌の粒径と年代の関係を明らかにすることであった。チェルノーゼム土壌を構成する土壌粒子をバラバラに分散させ、粒子のサイズごとにその放射性炭素年代を測定したところ、黒い有機物の大部分(約70%)は2μm以下の粘土粒子に吸着して非常に長い年月(土壌最深部では3000年から4000年もの期間)安定に存在していることが明らかになった。チェルノーゼム土壌に含まれる粘土はカルシウムに飽和されたスメクタイトという粘土鉱物から構成されており、これが有機物を吸着したものと考えられる。

異なるメカニズム

 他方、日本の火山灰土の上に発達した黒ボク土は有機物に富んではいても農業に適した土ではない。北海道では黒ボク土、重粘土、泥炭土を三大特殊土壌と呼び、これらの土壌の上での農業は困難をきわめてきた。

アルミ溶解で毒性

 黒ボク土もチェルノーゼム土壌もよく似た暗色の有機物を蓄積していることが特徴であるが、土壌有機物が蓄積したメカニズムが異なっている。両方の土壌で似ている点は、黒ボク土は火山灰の上に、チェルノーゼムはレスの上に生成した土であり、どちらも編成風によって運ばれた細粒質の母材の上に発達している。レスは風化するとカルシウムに富んだスメクタイトという粘土鉱物を生成し土のpHを高く保つが、火山灰は風化するとアルミニウムに富んだアロフェンという粘土鉱物を生成する。

 カルシウムもアルミニウムも土壌有機物と結合すると、キレート構造によってその構造を安定化する。しかしカルシウムは植物の必須養分であるのに対して、アルミニウムは溶解すると土壌を酸性にし、植物に対して強い毒性を示す。


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典型的なチェルノーゼム土壌断面(左)と黒ボク土壌断面(右)


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第16回(2021年11月21日):
炭化で安定性を獲得ー 有機物の一部は微粒炭由来

 

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 新鮮な植物遺体は土壌微生物による分解を受けるが、分解途中の有機物がカルシウムやアルミニウムと結合し、またはこれらの金属イオンを介して土壌鉱物の表面に吸着することによって安定化し、さらに酸化や重合を伴う化学変化によって暗黒色で複雑な構造を持った有機物「腐植物質」へと変化し、長い年月土壌中に残留することができる。

草原植生の下で生成

 黒ボク土とチェルノーゼム土壌でもうひとつの共通している点は、どちらも草原植生の下で生成したことである。チェルノーゼムの草原植生は半乾・半湿の気候条件下で発達したものであるが、黒ボク土の場合、湿潤で本来は森林が成立する気候のもとで、人間が森林を焼き払い草地や焼畑として利用してきたために草原植生になったものである。

 レスや火山灰土という柔らかな土壌母材の場合、草本は地下深くまで根を伸ばすことができる。また、草本は毎年冬には地上部の植物体を枯らし、地下部の有機物を増やして、次世代の生育に備える。そのため、森林植生よりも草本植生の方が土壌中の有機物を増やすことができる。

焼かれて広く草地化

 他方、木本を交える草本植生が野火および人為により焼き払われると、燃え残りの微粒炭が生成する。火山灰土の中にはこのような微粒炭が多く含まれている。有機物は炭化によっても安定性を獲得するので、黒ボク土に含まれる暗黒色の有機物の一部分は微粒炭由来のものであるとも考えられている。日本では縄文時代以降、狩猟、採集、焼畑農業などの目的で人間の居住地の周りの森林が焼かれて広範囲に草地化したことが黒ボク土の生成を促進したと説明されている(須賀丈ほか「草地と日本人」、築地書簡 2012)。

 土壌中で植物遺体から徐々に腐植物質ができていくというプロセスと植物の燃え残りの微粒炭が暗色の土壌有機物の主体となるというプロセスは全く異なる考え方であるが、両方のプロセスが共存すると私は考えている。

 私の研究によると、チェルノーゼムの場合、2 μm以下の粘土の大きさの粒子に結合した有機物が大部分を占めたが、黒ボク土の場合シルト(2 – 20 μm)および砂(20 μm以上)の粒径区分に含まれる有機物の割合が多かった。有機物を除去した土壌粒子の粒径分布と比較しても、有機物を除去していない土壌の粒径分布はさらに大きな粒径の側にシフトしていた。また、埋没した古い年代の黒ボク土では、砂以上の大きさの有機・無機複合体の割合がさらに大きかった。

 これは、黒ボク土では上の層位でいったん溶解したアルミニウムイオンや鉄イオンが、下の層位で再び酸化アルミニウムや酸化鉄として土壌粒子の表面に析出して土壌粒子どうしを結合し、より大きなサイズの安定な有機・無機複合体を形成するとして説明することができる。

林を里山として維持

 

 他方、微粒炭の多くはシルト以上の大きさを持つため、黒ボク土の有機物分布が砂やシルトなどの大きな粒子の側にあることの説明として適しているが、年代を経るに伴って大きな粒子の割合が増えることの説明は困難である。

 十勝平野の台地上には、かつて広大なカシワ・ミズナラ林が分布していた。そしてそこに分布する土壌は黒ボク土である。黒ボク土が草原植生のもとに生成したという考え方と矛盾するように思えるが、カシワ・ミズナラ林の主な林床植生はササである。また、カシワ・ミズナラは厚い樹皮を持つため、多少の火災には耐えることができる。また、伐採してもひこばえによって容易に再生する。

 十勝平野では旧石器時代と草創期からの縄文時代を含めて人間活動の痕跡(石器・土器・装身具など)が各地から多く発掘されている。カシワやミズナラおよび混在して生育するトチノキなどのドングリは野生動物ばかりでなく人間の食料としても利用されてきた。

 また、アイヌ民族は狩猟・採集ばかりでなく、1000年以上前に北海道、東北地方北部に分布する擦文式時代から稗、粟、ソバ、緑豆等の栽培を行ってきた。そのため縄文人やアイヌ民族の人々は火入れをすることによって、カシワ・ミズナラ林を里山として維持するとともに、居住地の周辺に農耕地を確保してきたのではないだろうか。カシワ・ミズナラ林は先住民の広大な里山であった可能性がある。

本土入植者が伐採

 明治中期以降に本土から入植した人々は、カシワ・ミズナラ林のほとんどを伐採し畑にしてしまった。開拓してからしばらくの間は無肥料で特に豆類を中心とした作物を収穫することができ、第一次世界大戦の際には「豆成金」と呼ばれるような商人も現れた。しかし、年月を経るに伴い黒ボク土の上に作った畑の地力は低下し、黒ボク土を生産性の低い「特殊土壌」として扱わねばならなくなった。


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カシワの木の切株(左)と切株からのひこばえ(萌芽更新)(右)
帯広市内の森で筒木撮影(左2021年9月、右2019年5月)


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第17回(2021年12月1日):
高度な文明の遺産ー アマゾン「黒い土」の成り立ち

 

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 肥沃な黒い土の例としては、南アメリカのアマゾン川流域の広範囲に分布するテラプレタという土壌が挙げられる。残念ながら私は実際に見たことがないが、これは南アメリカ先住民が熱帯雨林に囲まれた土地に木材を蒸し焼きにして調製した炭化物や有機質資材を長年にわたって埋め込んで作った土壌有機物に富む黒い土である。

微量要素も多量保持

 周りの熱帯雨林の土は有機物に乏しく鉄とアルミニウムに富んだフェラルソル(FAO-Unesco)またはオキシソル(USDA)という土であるが、テラプレタは表層のA層には15 %近くもの土壌有機物を含み、50cm の深さでも2~2.5 %以上の有機物を含んでいる。有機物を含む土壌層の深さは1mから2mにも及ぶ。テラプレタ土壌は非常に肥沃で長年にわたり作物を作り続けることができた。土壌動物や土壌微生物の活動も活発で、土壌中には微量要素も多量に保持されている。


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ブラジルアマゾン川流域におけるテラプレタの分布(□はテラプレタサイト、
■はテラプレタ調査地)ドイツ・バイロイト大学 B. Glaser 他(2000) の論文より


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テラプレタ(左)とフェラルソル(右)の土壌断面の比較
B. Glaser ら(2001) の論文より


伝染病で先住民放棄

 テラプレタは紀元前800年頃から西暦1500年以降スペイン・ポルトガルをはじめとする西欧人によって征服されるまで使われていた。しかしボーリング調査によると土壌中の炭化物の量は紀元前9000年頃から飛躍的に増加しているとのことで、アマゾンにおける炭化物を利用した農業の起源はその頃までさかのぼることができる。さらに、この土地がさまざまな栽培植物の起源地となり、アンデス高地やメソアメリカへと拡散していったとの推察も行われている(実松克義「アマゾン文明の解明」現代書館2010)。この土地で農業をしていた先住民の多くは西欧人が持ち込んだ天然痘、インフルエンザ、はしかなどの伝染病によって死滅し、残された人たちは農業をあきらめ、狩猟・採集生活に戻った。しかし先住民が土地を放棄したのちもテラプレタは肥沃な土壌として残り続けた。

 テラプレタは1カ所の面積が小さいものでは20 ha、大きいものでは360 ha もの規模があり、圃場の形は円形ないし長円形である。その面積の総計は最大の推定値でアマゾン全域の面積の10%にも及び、ここでの農業を基盤として高度な文明が築かれていたと考えられている。

初めて学術誌に紹介

 テラプレタは後に国際土壌科学連合の会長となったオランダのソンブルーク(Sombroek)博士によって1966年に初めて学術誌に紹介された。その後、テラプレタに関する科学的研究が多くの研究者によって行われている。世界の他の土地で初期の農業として行われた焼畑はアマゾンの一部の地域でも行われていたが、土壌の消耗が激しいため、焼畑の過程で偶然発見されたテラプレタという方法が採用され広範囲に広まったのであろう。チェルノーゼムおよび黒ボク土が自然の力によって生成したのに対して、テラプレタは旺盛に生育する熱帯森林資源を利用して完全に人為的に作られた土である。

 最初は小面積のものが作られ、長い年月をかけて同心円状に広げられ、周りの熱帯雨林との共存が可能な範囲の面積で農地の拡大を終えたのであろう。テラプレタに関する研究がきっかけとなって、現代農業においても生物炭(バイオチャー)を土壌肥沃度の増進のために用いようとする試みが始まった。テラプレタの土壌そのものを販売する事業もあるそうだが、先住民の貴重な遺産に対する冒涜であるし、環境破壊にもなるので、許されるべきことではないと思う。

 アマゾン文明と関連して、ボリビア東部のモホス大平原にも大規模な農業文明が存在したことが発見され、現在その発掘と解明が進んでいる(実松克義、同上)。このことについては、本連載の後の項目で改めて触れる予定である。

低肥沃性の主な理由

 チェルノーゼム、テラプレタ、黒ボク土がいずれも多量の有機物を含む土壌なのに、何故黒ボク土だけが肥沃でないのか。土壌有機物が蓄積したメカニズムおよびその性質も3種類の土壌の間で異なっているようなので、より詳しい研究が必要であろう。黒ボク土においては活性なアルミニウムが土壌を酸性にし、リン酸を固定することが低肥沃性の主な理由と考えられている。

 炭カルによって土壌酸性を矯正し、リン酸資材を施用してリン酸不足を補えば、黒ボク土を肥沃な土壌に変えるための第1歩となる。実際に黒ボク土を主な土壌とする十勝平野は、バレイショ、小麦、豆類、甜菜の日本一の産地となっている。とくにバレイショは耐酸性が強いことと、酸性土壌がソウカ病の発生を抑制することから、黒ボク土での栽培に適している。土壌改良によって黒ボク土は肥沃な土壌に変えることができたと言える。

 しかし、黒ボク土が草原植生の下で生成した土壌であるとすれば、現在のほとんどの黒ボク土は過去の遺産であり、新たな黒ボク土はできていないことになる。黒ボク土を「特殊土壌」ではなく日本の豊かで貴重な土壌資源として利用し続けるためには、より保全的な扱い方が必要になるであろう。


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第18回(2021年12月11日):
自然の仕組みを模倣 ー 有機物の循環で肥沃維持

 

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 土壌中の有機物はそこに生える植物や土壌中に生活する生物の栄養源になる一方でそれ自体は減少していく。従って減少分を補う以上の有機物を毎年土壌に加えないと、土壌の肥沃度は維持できない。自然の状態では、植生を維持し、さらに生産力の高い植生へと遷移することによって、有機物の循環とより肥沃な土壌の生成が行われてきた。すなわち植物自体が土を育んできた。人間が自然に代わって土壌から恵みを受け取り続けるためには、このような自然の仕組みを模倣する必要がある。

長期圃場試験の結果

 イギリスのロザムステッド農業試験場において1843年に開始され、現在も続けられている長期圃場試験によれば、1haあたり毎年35tの堆肥を施用した区と化学肥料のみ(窒素144kg相当/ha)で栽培した区、および無肥料区で小麦の収量を比較している。その結果、堆肥施用区の土壌炭素含有率は試験開始172年後の2015年には3.2%に達し試験開始時(1%)の3倍以上になった。この区では堆肥のみで小麦が必要とする養分の全てをまかなっている。

 他方、ヘクタールあたり144kgの窒素とP, K, Mgを施肥してきた区では、土壌中の炭素含有率は2015年には1.21%であり、試験開始時からほとんど変化していない。無肥料・無堆肥区および肥料としてP, K, Mgのみを施肥してきた区では2015年に0.87%および0.91%であり、開始時よりも減少していた(Rothamsted Research 2021)。これは窒素を施肥することにより小麦の生育が促進され、小麦の収穫残渣や残根によって土壌中の有機物が増えたためである。

 これらの土壌中に生息する土壌生物数はもちろん堆肥区において最も大きかったが、化学肥料区においても堆肥区と比べて細菌数が55%、糸状菌菌糸片数が93%、全原生動物数が66%であり、堆肥を施用しないと微生物が死滅するというようなことはないことを示している(松中照夫「土は土である」p.146 農文協2013)。化学肥料区では、土壌微生物は小麦の収穫残渣や残根に由来する有機物をエサとしていたと考えられる。有吉佐和子氏の小説「複合汚染」(1975) 以来「化学肥料を使い続けると微生物は死に絶える」との考えが広まったが、実際のデータではそのようなことはない。ただし、ここでは土壌微生物の詳細な組成や多様性については比較検討していない。


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差異がない小麦収量

 さらに、小麦の収量自体は試験期間全体を通じて堆肥35t/ha施用区と化学肥料施肥区(N144kg+P, K, Mg区)の間に違いはなかった。これらの区における小麦の収量は現在では5 - 6 t/haのレベルに達し、化学肥料区の方が堆肥区よりもわずかに高い。他方、無肥料・無堆肥区における収量は 1 - 1.5 t/haで試験開始以来ほとんど変化していない。すなわち基本的な養分要求さえ満たせば小麦の収量を維持することが可能であり、とくに有機物を施用することのメリットは収量に関する限りなかったことが示されている。この試験は170年以上も継続されている世界唯一の貴重な長期試験であるが、これらの試験結果に対する評価はさまざまに異なっている。

 ロザムステッド試験場Broadbalk圃場の土壌は、FAOの分類でChromic Luvisolsという赤褐色の粘土集積層を持つ土壌である。集積層における粘土含量は20%以上であり、粘土が多いため有機物はこれに結合して安定化し保持される。作土層(0-23cm)の土性はシルト質埴壌土(silty clay loam)であり、粘土、シルト、砂のバランスが良いため作物の栽培に適している。もともと作土中に少量の石灰岩(chalk)の小片を含んでいることから、カルシウムに富んだ土壌であるが、さらに作土のpHが小麦の生育に適した値になるように必要に応じて炭酸カルシウムを施用している。除草剤も必要に応じて散布し、殺菌剤は春と夏に散布している。また、連作の弊害を緩和するため、1935年以来、4年連作・1年休閑で小麦を栽培している。

最適土壌で細心管理

 すなわち、ロザムステッド試験場における長期試験は、最適な土壌の上で細心な管理のもとに行われている試験である。

 また、小麦は根などのバイオマスを多量に土壌中に残す作物であり、またロザムステッド農業試験場の土壌は炭素含有率が1.0 %と低いことから、小麦の栽培だけで土壌中の有機物含量を維持できたものと考えられる。さらに有機物の分解が少ない冷温帯での試験であり、土壌も粘土に富んでいることから、世界中のさまざまな土壌において普遍的にこの結果を適用できるかどうかは疑問である。また堆肥施用区における土壌有機物含有率の増加は、収量以外にも各種のメリットをもたらしているはずであるが、このことについてはあまり宣伝していないようである。


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新年のご挨拶(2022年1月11日):
収量より多様性尊ぶ ー 遺産に残る南米先住民気質

 

      

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 新年明けましておめでとうございます。2021年の4月以来、「人新世を耕す」という題目のもとに連載記事を書かせて頂いています。新たに勉強しながら書いているため、未熟な内容も多いことと思いますが、お許し頂きいましばらくお付き合い頂けましたら幸いです。

 年頭の話題として、私たちの生活に南北アメリカ大陸原産の植物がどれほど貢献しているかということを紹介したいと思います。中南米原産の重要な食料作物としては、トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、キャッサバ、トマト、トウガラシ、カボチャ、インゲンマメ、ラッカセイなどがあります。果物も多くのものが中南米原産ですが、有名なものとしてはパイナップル、パパイア、アボカド、バンレイシなどが挙げられます。嗜好品としてはタバコ、カカオ、コカ、ガラナ、オールスパイスなどがあります。繊維素材のワタは旧世界のモヘンジョダロ遺跡で発掘されたものの他に、中南米でも独自に数千年前から栽培されていました。私たちの生活を潤してくれる花卉類としては、モンソーフルール監修「花図鑑」(西東社2011)に載っていた132種類の花類のうち30種類が南北アメリカ原産のものでした。その中でなじみ深いものとしてはヒマワリ、ダリア、コスモス、マリーゴールド、センニチコウ、アジサイ(アナベル)などがあります。実ものは15種中5種類、葉ものは25種類中6種類が南北アメリカ原産でした。もし現代にこれらの植物が無かったとしたら私たちの生活はどんなに味気ないものとなってしまうでしょうか。

 これらの食料や植物のほとんどは、コロンブス以降ヨーロッパに伝えられ、さらにアジアや日本にも伝播してきました。しかし、コロンブス以前に旧世界に伝わったものがあります。それはサツマイモとアサガオでどちらもヒルガオ科に属します。これらは南米の先住民自身によって、南太平洋のポリネシアの島々に伝えられ、そこからアジア、中国、日本に伝播したようです。サツマイモについてはヨーロッパ人によって運ばれたものの方が主流ですが、アサガオについては奈良時代に既に日本に伝来していたので、最初に南米先住民によって伝えられたルートを想定せざるを得ません。サツマイモのことをイースター島などのポリネシア語ではクーマラと呼び、インカ王国の民族の言語ケチュア語ではクマラないしクマルと呼んでいたので、両者の密接な関係が推察されます。アサガオの用途はもともと薬用であったものが、日本では花を楽しむものになり、多種多様なアサガオが育種されました。

 南北アメリカ大陸の豊かな植物相の要因としてアマゾン平原があります。ここには熱帯雨林と広大で肥沃な沖積平野があります。またヨーロッパ人によって侵略される前は数百万人の先住民が生活し、森の中にテラプレタといわれる肥沃な農耕地を造り、熱帯雨林の中から選び出した多様な作物を栽培していました。先住民は長老から子供に至るまで森の植物や生物に関する広くて深い知識を備えていたそうです。これらの先住民の中には航海の技術に長けていた民族があり、アマゾン平原で育種された作物が南米のアンデス文明地帯や中米・北米にも伝えられたと考えられます。コロンブスに最初に接触したのも、このような民族のひとつアラワク族でした。 アメリカ先住民は、栽培作物の多様性を尊ぶ習慣を持っていました。ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシなども非常に多くの品種を栽培しており、優秀な品種を選ぶという方向性ではなく、多様な品種を余すところなく一緒に栽培していました。そのことにより、高低差のある多様な環境に適応することや、病害虫の被害を軽減することができました。また、交雑により新たな品種を得られる確率も高めることができました。

 現代の育種においては当然優秀な品種の育種が追求され、その方法においても遺伝子操作が導入されて、あらかじめ設定された目標に最短最速で到達できるような育種技術が求められていることと思います。その反面、作物の多様性という観点からは退行しているのではないでしょうか。より持続的な食料の未来を構築するためには、アメリカ先住民にならって多様性という観点をふたたび導入することも必要ではないかと思います。日本人はもともと「変化アサガオ」にもみられるように変種を愛でる人々なのですから。

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第19回(2022年2月1日):
止められない消耗 ー 有機物の豊否は過去の遺産pdf

 

 化学肥料施用だけで圃場の有機物含有率を維持できるか。

 世界中の他の土地では、有機物を施用しないで化学肥料のみを施肥してきた圃場においては、地力の低下や土壌物理性の悪化により土壌侵食が進行し、作物の収量が低下する例の方が一般的である。

 ロザムステッド農業試験場のように、化学肥料の施肥で栽培した作物の残渣だけで土壌の炭素含有率が維持できるのは、もともとの土壌炭素含有率が非常に低い場合に限られる。

 アメリカ、ミシガン州のローム質土壌でトウモロコシの収量レベルと土壌有機炭素の増減を、圃場の土壌炭素含有率と関連させて推定している(Foth, Fundamentals of Soil Science 7th ed・, John Wiley & Sons, 1984, p・165)。

高収量では2.3%

 その結果、トウモロコシ収量が3150 kg/ha ではもとの土壌炭素含有率1%を維持できたが、土壌炭素含有率が1%以上の圃場では土壌炭素含有率の減少を抑制することができない。収量が通常レベルの6300 kg/ha まで増えると土壌炭素1.8 %まで維持でき、9450 kg/ha の高収量レベルでは土壌炭素2.3 %まで維持できるが、もともとの土壌炭素含有率がそれより高い場合は維持できない。

 この地域では年間 8t / haの土壌侵食が推定されている。20cmまでの作土の重量を1haあたり2000 t とみなすと、毎年その0.4%が失われることになるが、低いレベルの侵食速度と言える。それでも圃場の炭素含有率を維持するためには、作物を栽培するだけでなく、侵食を防止することや、堆肥などの施用を行う必要がある。

大部分の圃場で減少

 日本各地の非黒ボク野菜畑多数地点で、化学肥料に非木質有機資材を上乗せして10年間連用した場合の土壌有機炭素含有率の変化が調べられている(草場、2005)。 その結果、化学肥料のみでは圃場の土壌炭素1.1 %、有機物を毎年 20t / ha施用した場合は土壌炭素1.6%、30t / ha 以上施用した場合は土壌炭素1.8%を維持できている。逆に言えば、通常の化学肥料施肥に加えて有機資材を毎年20t /ha、10年間施用しても、大部分の圃場で土壌炭素含有率は大部分の圃場で減少している。

 ロザムステッド農業試験場で毎年35t /haの堆肥を170年間施用した結果、土壌炭素含有率は1%から3.2 %まで増えた。これは1ヘクタール当たり22 t の炭素が増えたことになる。

 35 t の堆肥には、水分を50%、炭素含有率を乾物当り40%と仮定すると7 tの炭素が含まれるので、170年間に施用された堆肥中の炭素の量は約1200 t となる。このうち22 t しか現在残っていないので、施用された堆肥の大部分は土壌中で分解されたことになる。現在の圃場の炭素含有率は平衡状態に達し、施用された炭素は平衡状態を維持するために使われている。

 これらの研究結果で共通していることは、作物の収穫残渣で土壌有機物を維持ないし増やすことができたのは、もともと土壌有機物含有率が低かった圃場だけで、始めからある程度土壌有機物含有率が高かった圃場では、多少の堆肥の施用を行った場合でも分解や侵食による土壌有機物の損失の方が大きかったということである。

耕耘や侵食の影響

 作物残渣の還元や堆肥の施用によって増やすことのできる有機物の量は、1年ごとの量で考えると、もともと土壌中に存在している有機物の量に対して非常にわずかで、ほとんどの場合1%以下に過ぎない。

 耕耘や侵食の影響はもともとある土壌有機物全体に影響を及ぼすので、有機物含有率の大きな土壌ほど、これらの人為による土壌有機物の減少量は大きくなる。例えば上記のミシガン州のローム質土壌のように侵食によって毎年、作土の0.4%が失われると、そのなかに含まれている土壌有機物も0.4%失われることになる。

 すなわち、圃場における土壌有機物の豊否は過去の自然植生や自給自足的農業時代の遺産による部分が大きく、現代の農業ではそれが失われるままになっている。地力を維持するためには、少なくとも現在の土壌炭素含有率を維持できる程度の土壌保全(侵食防止)対策や堆肥や緑肥による有機物の補給が必要である。


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第20回(2022年2月11日):
欠乏する微量要素 ー 化学肥料依存で農地荒廃

 

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 前回までの3回の連載で、肥沃なチェルノーゼム土壌、有機物は多いが問題をかかえた黒ボク土壌、アマゾンの先住民が発明した奇跡のテラプレタ土壌を例として、土壌有機物と肥沃度の関連について考察してきた。また、土壌有機物の少ない土壌では化学肥料の施用によって生産を増やすことができるが、土壌有機物の消耗はくいとめられないことを例証してきた。

 確かに化学肥料は人類史における大発明であり、化学肥料(特に窒素肥料)の生産量と世界の人口の増加曲線はほぼ比例している。しかし、その陰で農地の荒廃が進み、先進国は農産物の過剰に悩み、開発途上国は依然として貧困にあえいでいる。日本では農産物の輸入が過剰になり、国内農業の衰退が進んでいる。

 化学肥料に依存して生産された農産物は炭水化物、脂質、タンパク質などには富んでいても、ビタミンや微量要素の含有率は昔の農産物と比べて著しく減少している。作物の種類や品種の多様性も減少していることから、幼年・老年を問わず現代人の健康状態に少なからず影響を及ぼしている。

 科学技術の進歩により、砂やれきの上でも、さらには水だけでも作物を栽培することが可能となったが、作物栽培の本来の姿や肥沃度の発現のしくみに立ち帰ることも大切だと思う。

作物の必須元素

 岩石の砕けたもの、火山灰、レスなど、土壌のもととなった物質のことを「母材」という。チェルノーゼムも黒ボク土も風積の母材の上に発達したことは共通しているが、土壌固有の暗褐色の有機物である腐植物質を蓄積させるきっかけとなった物質が異なっている。チェルノーゼムではカルシウムが腐植物質を蓄積させた。カルシウムは作物の必須元素であり、土のpHをアルカリ性側から中性に維持する。他方、黒ボク土ではアルミニウムが腐植物質を蓄積させたが、アルミニウムは作物の必須元素ではなく、酸性の物質であり作物の生育を阻害する。さらに黒ボク土ではアルミニウムのイオンがリン酸と結合するため、リン酸の肥沃度が非常に低いという問題もある。

 また、黒ボク土で腐植物質が多く含まれるのは湿った土地であり、湿害とも結びついている。私が住んでいる十勝平野では、台地の部分はほとんど火山灰によって覆われているが、その上には黒い土(多湿黒ボク土)と淡い褐色の土(腐植質褐色黒ボク土)が帯状に並行して分布している。これは地下水の流れを反映したものである。

 黒い土に含まれる暗色の有機物(腐植物質)は安定化された有機物である。土に毎年加わる植物遺体や動物の排泄物や遺体などの有機物は速やかに分解されて他の植物や動物のエネルギーおよび養分となり、安定化された有機物として残る割合はほんの一部に過ぎない。通気性の良い土壌においては安定化される有機物の割合はさらに低くなる。しかし、チェルノーゼムや黒ボク土などの特殊な土壌条件下で安定化された有機物は分解されにくい化学構造を獲得しているため、長い年月の後には土壌中に多量に蓄積することになる。

 安定化された土壌有機物は土を柔らかくし、水分や土壌養分を保持すること、一部の低分子成分は金属イオンの輸送を司ることや生理活性を示すことなどによって、土壌の肥沃度に貢献している。また自然の植物や作物が光合成によって二酸化炭素から合成した有機物を土壌中に隔離することにより、地球温暖化の緩和にも貢献することができる。

 植生由来の有機物を安定化させるもうひとつの方法は、水中に堆積させることである。泥炭地の有機物はその例であるが、農地として作物生産に利用することはできない。地球温暖化の抑制という観点からは泥炭地は大きな貢献をしている。しかし、いったん泥炭地を排水したり干拓すると、泥炭を構成する植物遺体は急速に分解されて二酸化炭素になってしまう。

 堆肥化により有機物を途中の段階まで安定化することは可能であるが、黒ボク土やチェルノーゼムに含まれるような分解されにくい土壌有機物を堆肥化によって作ることは困難である。ただし、テラプレタ土壌に見られたように植物体を炭化したものは分解されにくく、土壌中に長期間貯蔵することができるので、生物炭(バイオチャー)技術として最近注目を集めている。しかし安定化された腐植物質や炭だけで肥沃度を維持できるわけではなく、そこで作物残渣や堆肥に由来する有機物が分解し養分が循環することによって肥沃度が保たれている。

 土壌有機物と肥沃度の関係を考えると、土が黒いから肥沃なのではなく、有機物の蓄積と分解こそが肥沃度の本質であると考えられる。すなわち、土壌に加えられた植物遺体や生物遺体や糞尿が分解されて、有機物中に保持されていた窒素、リン酸、カリウム、各種微量元素などの養分を放出する。これによって次の世代の植物を育て、土壌中の微生物の働きを活発化させるとともに、分解残渣を腐植物質として土壌中に残し、これも植物の生育に貢献している。しかし分解消失した有機物を補給しなければ肥沃度は維持できない。

 土壌有機物の蓄積量は供給と損失の収支およびこれらに影響を及ぼす環境条件(気温・水分・土壌の性質と状態)によって決まる。供給量としては、自然の場合は落葉・落枝・腐朽根の量、圃場の場合は作物残渣(地上部・地下部)の量と堆肥・厩肥・緑肥の供給量が挙げられる。損失量としては土壌微生物による分解と土壌侵食による損失が挙げられる。

 供給量は植物の生育量に比例するので、気温の上昇とともに増加するが、ある一定温度(40℃未満)で最大値に達する。他方、分解量のもととなる微生物活性も気温の上昇とともに増加するが、こちらは中温菌でも60℃程度まで増加し続ける。そのため、熱帯のような高温条件下では土壌有機物の蓄積量が少なくなる。適度な水分状態は植物生育と微生物活性を増加させるが、過度の水分や低温は特に微生物活性を低下させるため、泥炭地やツンドラのように有機物の蓄積量を増加させる。

 土壌中の粘土、シルト、砂の割合も土壌有機物の蓄積に影響している。粘土質の土壌は有機物を保持しやすいが、砂質の土壌では有機物を保持しにくい。また耕耘によって土壌の気相率を高めると有機物の分解が促進される。

 土壌中の粘土、シルト、砂の割合で定義される土壌の性質のことを「土性」という。「土性」は有機物を除去した土壌粒子の粒径組成によって定義されている。土性を表す用語としては、粘土の割合が非常に大きい「重埴土、HC」、砂の割合が大きい「砂土、S」、シルトの割合が大きい「微砂質壌土、SiL」、粘土、シルト、砂のいずれもが適度に含まれる「埴壌土、CL」など12種類がある。


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粘土、シルト、砂の割合で定義される「土性」

 肥沃な土壌には、粘土、シルト、砂がバランス良く含まれている。土性は土壌の水分保持力に影響し、砂の割合の大きい土壌は水分保持力が小さい。粘土の多い土壌では水分保持力は大きいが、粘土表面に水を結合する力が強すぎるため、植物が実際に吸収できる「有効水」の割合は低くなる。バランスの良い土性を持つ土壌は「有効水」を多く含むことができる。

 しかし、有機物および団粒は「土性」による制約を緩和することができる。砂の多い土壌に有機物が共存すると水分保持力を高めることができる。粘土の多い土壌に有機物が蓄積すると、粘土粒子どうしの間の隙間が増える。また団粒構造が発達して、小さな粘土粒子を大きな団粒にまとめあげる。ただし、団粒構造が発達するためには有機物のみが存在すれば良いわけではなく、粘土の表面がカルシウムやマグネシウムなどの陽イオンで覆われていることや、植物の根から分泌される粘質の有機成分、菌根菌などの菌糸、土壌微生物や土壌動物の働きが必要である。

 それぞれの土地で土壌に蓄積できる有機物の最大量は、農地周辺に残っている森林あるいは自然草地の土壌有機物含有率を目安にすれば良いであろう。しかし農耕地では収穫物の持ち出しによって植物からの有機物残渣の供給量は減少し、耕耘によって土壌有機物の微生物による分解は早くなり、土壌表面が裸地になる期間も長く侵食を避けられないなどのことから、自然植生下の土壌と比べてどうしても土壌有機物の蓄積量は少なくなる。これをなるべく自然状態での有機物蓄積量に戻すには、作物からの有機物残渣の還元量を増やすこと、堆肥や緑肥からの有機物供給を増やすこと、農法を改善して有機物分解を抑制すること、緑肥栽培や防風林などによって土壌侵食を抑制することなどの対策が必要になる。


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右から2枚目は農耕地の間に残っている森の土壌断面で、他の3枚は帯広畜産大学内の圃場土壌断面。農場内でも地形や土壌水分状態によって腐植層の厚さや色が異なっている。


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帯広農業高校北西端の道路工事現場に現れた土壌断面。黒〜淡褐色の火山灰層の下には白色の恵庭-a 火山砂層(En-a, 1万7,000年前に降灰)と褐色がかった白色の支笏火山軽石層(Spfa-1, 4万年前に降灰)が横たわっている(2021年9月撮影)。


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帯広空港北(以平町付近)上空から見た日高山脈の方向の十勝平野。

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第21回(2022年2月21日):
土が黒いから肥沃?ー本質は有機物の分解と蓄積

 

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土壌肥沃度の本質

 堆肥化により有機物を途中の段階まで安定化することは可能であるが、黒ボク土やチェルノーゼムに含まれるような分解されにくい土壌有機物を堆肥化によって作ることは困難である。ただし、テラプレタ土壌に見られたように植物体を炭化したものは分解されにくく、土壌中に長期間貯蔵することができるので、生物炭(バイオチャー)技術として最近注目を集めている。しかし安定化された腐植物質や炭だけで肥沃度を維持できるわけではなく、そこで作物残渣や堆肥に由来する有機物が分解し養分が循環することによって肥沃度が保たれている。

有機物の分解と蓄積の均衡

 土壌有機物と肥沃度の関係を考えると、土が黒いから肥沃なのではなく、有機物の蓄積と分解こそが肥沃度の本質であると考えられる。すなわち、土壌に加えられた植物遺体や生物遺体や糞尿が分解されて、有機物中に保持されていた窒素、リン酸、カリウム、各種微量元素などの養分を放出する。これによって次の世代の植物を育て、土壌中の微生物の働きを活発化させるとともに、分解残渣を腐植物質として土壌中に残し、これも植物の生育に貢献している。しかし分解消失した有機物を補給しなければ肥沃度は維持できない。

 土壌有機物の蓄積量は供給と損失の収支およびこれらに影響を及ぼす環境条件(気温・水分・土壌の性質と状態)によって決まる。供給量としては、自然の場合は落葉・落枝・腐朽根の量、圃場の場合は作物残渣(地上部・地下部)の量と堆肥・厩肥・緑肥の供給量が挙げられる。損失量としては土壌微生物による分解と土壌侵食による損失が挙げられる。

供給は生育量に比例

 供給量は植物の生育量に比例するので、気温の上昇とともに増加するが、ある一定温度(40℃未満)で最大値に達する。他方、分解量のもととなる微生物活性も気温の上昇とともに増加するが、こちらは中温菌でも60℃程度まで増加し続ける。そのため、熱帯のような高温条件下では土壌有機物の蓄積量が少なくなる。適度な水分状態は植物生育と微生物活性を増加させるが、過度の水分や低温は特に微生物活性を低下させるため、泥炭地やツンドラのように有機物の蓄積量を増加させる。

 土壌中の粘土、シルト、砂の割合も土壌有機物の蓄積に影響している。粘土質の土壌は有機物を保持しやすいが、砂質の土壌では有機物を保持しにくい。また耕耘によって土壌の気相率を高めると有機物の分解が促進される。

 土壌中の粘土、シルト、砂の割合で定義される土壌の性質のことを「土性」という。「土性」は有機物を除去した土壌粒子の粒径組成によって定義されている。土性を表す用語としては、粘土の割合が非常に大きい「重埴土、HC」、砂の割合が大きい「砂土、S」、シルトの割合が大きい「微砂質壌土、SiL」、粘土、シルト、砂のいずれもが適度に含まれる「埴壌土、CL」など12種類がある。

 肥沃な土壌には、粘土、シルト、砂がバランス良く含まれている。土性は土壌の水分保持力に影響し、砂の割合の大きい土壌は水分保持力が小さい。粘土の多い土壌では水分保持力は大きいが、粘土表面に水を結合する力が強すぎるため、植物が実際に吸収できる「有効水」の割合は低くなる。バランスの良い土性を持つ土壌は「有効水」を多く含むことができる。

土性の制約を緩和

 しかし、有機物および団粒は「土性」による制約を緩和することができる。砂の多い土壌に有機物が共存すると水分保持力を高めることができる。粘土の多い土壌に有機物が蓄積すると、粘土粒子どうしの間の隙間が増える。また団粒構造が発達して、小さな粘土粒子を大きな団粒にまとめあげる。ただし、団粒構造が発達するためには有機物のみが存在すれば良いわけではなく、粘土の表面がカルシウムやマグネシウムなどの陽イオンで覆われていることや、植物の根から分泌される粘質の有機成分、菌根菌などの菌糸、土壌微生物や土壌動物の働きが必要である。

 それぞれの土地で土壌に蓄積できる有機物の最大量は、農地周辺に残っている森林あるいは自然草地の土壌有機物含有率を目安にすれば良いであろう。しかし農耕地では収穫物の持ち出しによって植物からの有機物残渣の供給量は減少し、耕耘によって土壌有機物の微生物による分解は早くなり、土壌表面が裸地になる期間も長く侵食を避けられないなどのことから、自然植生下の土壌と比べてどうしても土壌有機物の蓄積量は少なくなる。

自然状態で蓄積戻す

 これをなるべく自然状態での有機物蓄積量に戻すには、作物からの有機物残渣の還元量を増やすこと、堆肥や緑肥からの有機物供給を増やすこと、農法を改善して有機物分解を抑制すること、緑肥栽培や防風林などによって土壌侵食を抑制することなどの対策が必要になる。


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バレイショ播種後の農地:十勝平野西部の芽室町



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土壌団粒形成のメカニズム


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第22回(2022年3月1日):
利点多い緑肥活用ー有機物と養分の補給が容易

 

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 現在、日本において流通している食料の99.8%は化学肥料を使用して生産されたものであり、有機農産物の流通量は年間約6万tと0.2%に過ぎない(豊田剛巳編「土壌微生物学」朝倉書店 2018, p.141 )。しかし、化学肥料主体の農業においても、地力低下を防止するためには、有機物の施用や土壌保全対策が欠かせない。

有機物施用する効果

 その効果としては、1)土壌有機物は土壌の物理性を良くし、根の伸長を助ける、2)孔隙を増やし、根に空気を提供する、3)水分を保持する、4) リン酸がアルミニウムやアロフェンなどに固定されるのを防ぐ、5) 微量養分の輸送に有機物が関与する、6) 生理活性作用を示す、7) 土壌微生物を増やす、などを挙げることができる。

 また、上記に引用した「土壌微生物学、2018」において、豊田氏は有機農法の微生物についてコラムにまとめている。それによれば、ジャガイモ根部の細菌数を比較した例では、蛍光性シュードモナス数は有機圃場で高く、しかも、病原菌に対して抗菌活性を有する比率も高かった。また、最近の研究例では、ジャガイモの根では有機圃場で作物生育促進効果を有するリゾビウム細菌が増えること、有機栽培イネには病害抑制効果を有する内生細菌が多いことがわかってきた。他にもいくつかの例が紹介されている。

 さらに、化学農薬が土壌微生物組成に及ぼす影響としては、「最近の除草剤、殺菌剤、殺虫剤はそれぞれ標的となる有害生物をかなりピンポイントで制御するため、非標的生物である大半の土壌微生物、動物には影響がないことが多い。一方で、ある種の農薬が根粒菌を阻害する例、殺菌剤が菌根菌の生育を抑制する例、光合成を阻害する除草剤がシアノバクテリアとその光合成活性を抑制する例、多くの除草剤が硝化菌を抑制する例などがある」と述べている。

困難な完熟堆肥施用

 現代の農業においてどのように有機物補給を行えば良いのだろうか。完熟ないし中熟の堆肥を施用することは望ましいことであるが、必要量を農家で生産することや購入することは困難な状況にあるし、散布するにも多くの時間と労働力が必要である。また、高機能をうたった土壌改良資材や微生物資材も販売されているが、過大な宣伝を行っている場合も多い。

 さらに高価なことから有機物補給の観点から大面積に多量に施用することはできない。そもそも有機物が消耗して体力(地力)が低下した圃場においては、カンフル剤のような資材を利用しても効果は乏しいし、土壌有機物レベルを維持するという目的には適していない。高価な資材を使えば農産物の価格は高くなり、有機農産物または有機資材を使用して生産した農産物を一般消費者が購入することが困難になる。

 農家圃場への有機物還元を進めるためには、農家からの収穫残渣、畜産農家からの家畜糞尿や一般消費者からの生ゴミなどの有機物資源を有効利用するシステムを構築することが必要である。

生態系の多様化図る

 他方、緑肥の栽培は、農地の生態系に多様化をもたらし、病虫害の防除にも貢献すること、圃場内で栽培することにより容易に有機物と養分の補給ができること、土壌中の微生物活性を高め、菌根菌や根粒菌などを増やすこと、休閑期間中の栽培により連作障害を防止できること、地表の被覆によって土壌侵食を防止できることなど多くのメリットを持っている。

 緑肥は現在ではほとんど種苗会社によって選抜育種されたものが利用されており、禾本科、マメ科、アブラナ科、キク科などのなかから、バイオマス生産量、生育時期、生育の速さ、病虫害抑止能力、作物と競合しないこと、雑草化しないことなどさまざまな基準のもとに優良な品種が育成されている。


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各種の緑肥作物


不耕起栽培の可能性

 土壌有機物の分解と土壌侵食を抑制できる方法として不耕起栽培が推奨されている。

 土壌を耕起すると、土がやわらかくなり作物の根が張りやすくなり、その生育が促進される。しかし、作物の根や微生物、土壌動物の働きによって作られた土壌団粒が破壊され、土壌は風食・水食などの侵食作用を受けやすくなる。

 不耕起栽培では作物残渣を地上に残すため、土壌微生物や土壌動物がそれらを分解し、土壌中に引き込む。そのため作物残渣中の養分が有効に利用される。また、土壌生物と作物の根の働きによって団粒の多い良好な土壌構造が形成され、耕耘しないためそれが保持される。これにより土壌侵食が防止される。

 しかし、作物のなかにはバレイショのように、新イモができる領域を確保するため畝を立て、さらに培土(土寄せ)をする必要があるものもある。また、過湿に弱い作物も畝を作って栽培する必要があるので、その際に耕耘作業が欠かせないし、培土によって不定根の発生を促進できる。

 ダイコンやビートなどの根菜類も、耕していない土壌では生育が抑制される。

 また、不耕起栽培では雑草、害虫の卵や幼虫、作物病害菌が翌年の作物に持ち越されるため、除草剤を始めとする各種農薬の使用や、除草剤への耐性を持った遺伝子組み替え作物の栽培が不可欠になることが多い。

 また、種子の発芽も不揃いで遅れることが多い。肥料も地表面への散布なので、空中揮散などのロスが大きいこと、地下深いところにある根の活動域に到達するのが遅れるので、根の分布が表層に偏り肥効が劣るなどの問題がある。

 輪作農業においては、新しい作物を播種する前に、前作物の残渣を除去し整地している。これは作物毎に圃場の生態系を雑草や病害虫を含めてリセットしていることになる。上記で触れた緑肥栽培においても、作物栽培の前には緑肥のすき込みが必要である。これらのことから、各作物の作期内で耕起の回数をできるだけ減らす「減耕起栽培」などの取り組みが模索されている。


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第23回(2022年3月11日):
肥沃な耕地が砂漠化ー止まらぬ略奪で農業は衰退pdf

 

 旧約聖書の「創世記」は、ちょうど人間が農耕を開始した時代を表しているように思われる。アダムとイヴは「知恵の木の実」を食べたためにエデンの園から追い出され、自分たちで土地を耕し、家畜を飼って暮らさなくてはならないようになった。しかもそれは神が人に対して科した罰としての生業であった。

自然環境劣化が進行

 エデンの園で人類が暮らした時代は「創世記」の中ではそんなに長い年月ではなかったように書かれているが、実際にはホモ・サピエンスの誕生以来、数十万年も続いていたのであろう。農耕を開始した後の約1万年の間に人類は人口を増やし、新しい文明を築いてきたが、それは必ずしも幸せばかりをもたらしたものではない。

 生産物は社会の中で分配されるようになり、さらには生産者が他の階層によって支配され、例えば江戸時代の租税制度にみられるように、収穫物の大部分を搾取される時代となった。また、現代では農業生産の拡大のなかで、農業自体がその原因となって生産基盤となる土壌や自然環境の劣化が進行し、生産を続けられない土地も発生するようになった。

再び温暖化で人口増

 最終氷期の最寒冷期が過ぎて、約1万3000年ほど前から気候が急激に温暖化し始めたが、1万ほど前から約1000年の間に新ドリヤス期と呼ばれる寒冷な時代が再び訪れた。

 この時代にメソポタミアのユーフラテス川上流にあるアブ・フレイラという村にコムギ、オオムギ、エンドウマメなどを栽培化して生き延びた人たちがいた。これが西欧における農耕の始まりとなった。

 気候が再び温暖化した後に農耕を始めた人たちは人口を増やし、都市文明を培うことができた。上流地域での土地生産力の低下にともない、農業生産の中心地は下流部の低地に移り、降水量の少ない気候のもとで灌漑農業が始められたことにより土壌の塩類化が始まり、農耕地は荒廃してしまった。かつて肥沃な三日月地帯と呼ばれた地域には、現在砂漠しか残っていない。

森林の伐採と開墾

 農耕技術はその後、ギリシャ、ローマ、西ヨーロッパへと移っていったが、いずれの地域でも森林の伐採と開墾による土壌侵食、ヤギなどの家畜の過放牧による植生喪失、養分を補給しない略奪農業によってそれぞれ数千年の繁栄の後には農業のできない土地を残して、それぞれの文明が衰退していった。

 2021年7月にドイツ中部およびベルギーで大規模な土砂流出災害が起きたが、この地域ではローマ時代以降、森林の伐採と農耕によって最大1メートル数十センチの土壌が侵食されていた。

植民地から食料輸入

 ローマおよび西ヨーロッパにおいては、自国の農業生産力の衰退を補うためにその軍事力を行使して植民地からの食料輸入に依存するようになった。農耕は現地の小作人や農奴によって行われ、実際に農耕に携わらない支配階級によって土地からの利益が優先され、土地の肥沃度は省みられなかった。その結果、植民地においても土壌荒廃がもたらされ、食料不足の永続的な解決策とはならなかった。

 西欧からの移民によって開始された北アメリカの農業においても、土壌保全や地力の培養はまったく省みられず、荒廃した農地を残して次々に先住民の土地を奪い、肥沃な土地を求めて西進していった。

 西欧における農業は、もうこの先がないことが近年明らかになるまで一貫して略奪農業であった。ギリシャ時代・ローマ時代の哲学者の中には農業衰退の理由と正しい土地の扱い方に気づいていた人も多かったが、略奪農業のすう勢を押し止めることはできなかった。

イスラエルの永続的農法

 そのような中で、紀元前1000年頃モーゼに導かれてカナンの地に到着したイスラエル人は、農業に適した低地に入植することは許されず、丘陵地の森を切り開いて農業を始めた。彼らは輪作と7年に1度の休閑を行い、動物の糞とワラから作った堆肥を施用し、段々畑を築いて土壌侵食を防ぐなどして永続的な農業を行なった。彼らは、土地はイスラエルの民が世話を委ねられた神の財産であると考えていた。しかし、他民族との軋轢によって、彼らは土地に留まることを許されなかった(デイビッド・モンゴメリー「土の文明史」築地書館2010)。


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古代ローマ帝国の都市の廃墟:リビア



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第24回(2022年3月11日):
世界農業文明の盛衰ー真逆な遺産残す西進と東進

 

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中国古代国家の根幹と「五穀」を象徴する社稷壇

 土壌と農業が古代国家の成立要件の根幹であったことは、中国の歴代皇帝が儀式を行なってきた「社稷壇(しゃしょくだん)」にも表現されている。社稷壇は北京の紫禁城近くの中山公園にあるが、黄、黒、青、赤、白の五色の土が、黄色を中心に配置して四方向に敷き詰められている。この五色の土は、中央に鎮座する皇帝と四方の守護神、中国とその周辺の地域に分布する五色の土、および五種類の穀物「五穀」を象徴している。

黄は古代中国発祥地

 土の色の黄色は古代中国発祥の地である中原の黄色土、黒色はモンゴル・興安嶺を越えてシベリア低地に広がる草原土壌、青色は黄河・様子江河口に広がる低地土壌、赤色は雲南を越えて亜熱帯に広がる強風化土壌、白色はタクラマカン砂漠から中央アジア乾燥地の砂漠土壌を示している(小﨑隆、「世界の土壌はいまーあなたと一緒に考えたい『国際土壌年』」、科学2015.11、岩波書店)。

 五穀の色は、キビ・アワが黄色、ソバが黒、ムギが青、タカキビ(モロコシ・コーリャン)が赤、コメとダイズが白にあてられている(井上直人「おいしい穀物の科学」講談社ブルーバックス、2014)。すなわち多様な土の上で多様な作物が栽培でき、人民が飢えないことが国家の理想とされてきた。


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河川管理が最も重要

 中国においては黄河中流域においてアワやキビなどの雑穀の栽培が1万年以上前に、揚子江(長江)中流域において稲の栽培が約1万年前に始まったと言われている。その後、農耕の広がりに伴い、大河川の氾濫に伴う水害や、河川上流の丘陵地での土壌侵食が起り、歴代の王朝にとっては堤防の構築などの河川管理が最も重要な仕事となった。

 しかしその反面、河川によって運ばれた土壌養分によって長期間にわたって農耕を続けることができた。なお、中国では東北部の遼河流域で8600年ほど前から半農半牧の遼河文明が栄えたが、4200年ほど前から気候が乾燥し土地が砂漠化したため、この文明を支えていた人たちは黄河文明地域に移動したと考えられている。

文明の発祥と盛衰

 世界のその他の文明についても、以下にその発祥と盛衰を概観してみる。

 インダス文明はインド、パキスタン、アフガニスタンを含むインダス川流域で4600年前から3800年前までの間に栄えた文明であり、メソポタミア文明とも交流を持っていた。農業は河川の氾濫地で行われ、コブウシなどの牧畜も行われていた。しかし、気候変動によって乾燥化が進んだことにより滅亡した。

 エジプト文明は、メソポタミアからの農耕文明の伝播により、ナイルデルタにおいて7000年ほど前に始まった。エジプトでの農業はナイル川が運んだ肥沃な土壌の上で行われたため、1964年にアスワン・ハイ・ダムが建設されるまで継続することができた。ダムの建設後は化学肥料への依存と土壌の塩類化により農業環境が破壊されてしまった。

マヤ文明の絶頂期

 中米(メソアメリカ)では4000年ほど前にトウモロコシが栽培化された。その後、ユカタン半島に基盤をおいたマヤ族の人々は紀元前2世紀には階層制社会をもつ都市国家を形成した。マヤ文明が絶頂期に達した紀元600年から900年頃には人口が500万人から600万人に達していたと推定されている。これらの地域では農耕は焼畑農業として始められたが、人口の増大に伴い定住常畑化していった。マヤ文明では家畜を飼っていなかったので、家畜糞による養分補給も行われなかった。そのため、土壌肥沃度の低下と土壌侵食の進行に伴い、紀元1400年頃には都市国家も農地も放棄されてしまった。

 北部から移動してきたアステカ人が紀元1325年頃メキシコ盆地に定住し、その後テノクチトランを首都として新しい国家を建設した。この国家における農業生産は湖や湿地に浮島を作り、そこでトウモロコシ、豆、アマランス、市場向けの野菜などを栽培した。この方法はチナンパ農業と呼ばれ、肥沃度の低下を伴わない持続的な農業形態であり、約120 km2 の面積で10万人の食料を供給することができた。しかしこの文明はスペインの侵略により1521年に滅ぼされてしまった。

 南米ペルーでは5000年前から3500年前に建設された沿岸部のカラル遺跡を皮切に、海岸部と高地に次々にさまざまな文明が栄えてきた。標高3800mのチチカカ湖の周辺に住む人たちは、リャマやアルパカなどアンデス特産の家畜を飼い、ジャガイモやキヌアなどを栽培し、さらに 15日から20日をかけて山を下って、海岸地帯に移動し、寒い高地ではできないトウガラシやトウモロコシなどを自分たちで栽培していた。

アンデスのグアノ

 作物の肥料としては、家畜の糞や沿岸の島で採れる海鳥の糞の化石グアノを利用した(古代アンデス文明を楽しもうー特別展古代アンデス文明展オフィシャルガイドブック2017)。彼らは土壌肥沃度を間作、マメ科植物を含む輪作、休耕、堆肥と灰の利用によって維持した。また、地域に密着した土壌分類システムを持ち、種まきの前に土を耕さず、極力土をかき回さないようにしていた(デイビッド・モントゴメリー「土の文明史」築地書館 2010)。最終的にアンデス文明を支配したインカ帝国は1533年にスペインによって滅ぼされた。

アンデス川流域の農耕文明

 本連載17回目でアンデス川中流から下流域にテラプレタという人工的に炭を加えて作られた農地で永続的な農業が行われていたことを紹介した。これに加えて、アマゾン川の源流部の一つであるボリビアのモホス大平原においても紀元前二千年頃から高度な農耕文明が栄えていた(実松克義「アマゾン文明の研究」現代書館2010)。モホス大平原は盆地状の地形のため、アンデス山脈の雪融け水を集め1年の半分は巨大な浅い湖となってしまう。そこに古代人は土を盛り上げた島状の農耕地と居住地を作り、それらを結ぶ直線的な道路兼堤防を構築した。堤防沿いには運河や貯水池も作り水を管理した。農耕地の肥料には水草などを用いるなど、環境調和的なものであった。

 テラプレタおよびモホス大平原での人工農地は、多くの栽培作物、キャッサバ、カボチャ類、インゲン豆、落花生などの豆類、グアバ、パイナップル、タバコ、綿などの原産地となった。トウモロコシやバレイショもアマゾンにあった原種をアンデス高地人が移植、品種改良した可能性がある(実松克義、同上)。栽培植物のなかにはアンデス高地を起源地とされているものも多いが、アマゾン川流域の方が土地も肥沃で気温も高く、多様な栽培植物の起源地として適している。またアンデス高地との人と物の交流も大河とその支流を通じて容易に行われたと考えられる。これらのアマゾン農業文明もスペイン人の征服および侵略者によってもたらされた疫病の蔓延によって滅ぼされてしまった。

 ホモサピエンスがアフリカを出たあと、西に進んだ文明は一貫して土地収奪的なものであった。これに対して、東に進み、ベーリング海峡を渡り、最終的に南アメリカまで移動した人々の農業は環境調和的でエコロジカルなものであった。両文明が地球を半周ずつして出会うことにより、エコロジカルな文明を守ってきた人々とその知恵および伝統文化が滅ぼされ、彼らが残した自然と土地の遺産までもが大規模開発によって破壊されていることは悲惨なことである。

 ホピ族の人々は年間降水量が250 mmしかない乾いた大地の上で、堀棒だけを農具とし、湿り気が感じられる深さまで土に穴をあけてトウモロコシの種を蒔き、その後は手で除草する以外は耕しもせず、水もかけずにトウモロコシを育てた。土に過剰に手を加えると侵食をもたらすことを知っていたためである。

 アステカ王国の首都テノクチトランでは盆地の中央にあった巨大な浅い湖にチナンパという人工的な圃場を作り作物を栽培していた。この圃場は1区画が幅10 m、長さ100 mほどで、周りに木の杭を立て、杭と杭の間を小枝で塞ぎ、その中に湖底の泥や水草を敷き詰めて作ったものである。周辺部には柳の木を植えて補強した。作物栽培に必要な養分は湖底の泥と水草のみから供給された。

 アステカ文明より古い時代から始まったボリビア東部のモホス文明では、季節的に冠水してしまう土地に島状の農地と居住地およびそれらをつなぐ堤防状の道路を作った。土を掘ったあとは運河として居住地と農地の間を移動するために利用した。ここでも作物栽培のための肥料は湖に生える水草を利用したと考えられている。

 アマゾン川流域の熱帯林では樹木を蒸し焼きにして土に埋めることによって、焼畑よりも永続的で肥沃なテラプレタという農地を作り出した。

 これらの土地での生活は農業だけに頼ることなく、周りの森や湖水における狩猟、漁労、採集によっても糧を得ていた。

 アメリカ先住民は自然からの恵みを「節度をもって頂く」ことをわきまえていた。自然は人間が支配するものではなく、全ての生き物と共有し、人間はむしろその最底辺にあってその余り物を頂くという考えをもっていた。自然を傷つけずに守っていくという考え方は多くの先住民に共通していた。ホピ族が「我々の土地は子供たちから借りているもの」と考えていたように、他の多くの部族でも、「現在の子供たちは7代先の大長老」と考え、現在ある自然と部族の叡智を損なうことなく子孫に受け渡すことを心がけていた。自然や農地を独り占めするという考え方は上記のような考えかたと両立しなかった (S. ウォール・H. アーデン、「ネイティブ・アメリカン=叡智の守りびと」 築地書館 1997)。

 あとからやってきた西欧人は「誰のものでもなかった」土地を先住民から取り上げ、略奪的な土地支配を始めた。ただしこのようなことは新大陸のみで起こったことではなく、日本人によっても明治初期の北海道開拓や第2次世界大戦前の満州開拓において行われたことである。

 アダムとイブがエデンの園で「善悪の知識の木」の実を食べて得た知恵は、旧約聖書の創世記 2-16 にも書かれているように、「死をもたらす」ものであった。彼らの末裔にとって、土地は神と人の間の「契約」さらには人と人の間の「闘争」によって手に入れるものであり、土地からの収穫物は自然からの無償の恵みではなく、人が自然や土地と闘って獲得するものである。アメリカを始め世界各地の先住民はこのような考えを持たず、人は自然からの恵みによって生きるものと考えた。彼らは、もしこのようなたとえが許されるならば、アダムとイブがエデンの園から追放されたのちもそこに残った人たちの子孫なのかもしれない。


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世界の古代農耕文明の所在地



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第25回(2022年4月1日):
疲弊しない栽培形態ー日本の自然と調和する農耕pdf

 

 四大文明の発祥から少し遅れて農耕文明に参加した日本では、豊かな自然と調和する形で農耕が行われてきた。初期の農耕はすでに縄文時代から始められていたようである。

旧石器時代から栽培

 最近、小畑弘己氏は、縄文土器の圧痕として検出された豆類・雑穀やコクゾウムシの痕跡から、日本人は既に後期旧石器時代(16,000年〜7,300年前)から有用植物の栽培を開始していたことを明らかにした(「タネをまく縄文人 最新科学が覆す農耕の起源」吉川弘文館、2016)。縄文時代草創期〜早期にはアサ・エゴマ・ヒエ・アブラナ科などの繊維用および食用作物の栽培を開始し、縄文時代前期(7300年〜5500年前)には豆類(小豆と大豆)の栽培を独自に開始し、集落の安定化と人口増加をもたらしたと述べている。また同時にクリの栽培管理も同じ頃に開始された。ソバやイモ類も同様に縄文時代の重要な食料であった。

水稲栽培で集団移住

 大陸系穀物(アワ・キビ・イネおよび大麦と小麦)が朝鮮半島を経由して伝来したのは縄文時代晩期中葉〜後葉(2860〜2800年前)であった。そして、本格的な水稲栽培が一定規模の集団の移住を伴って到来したのは弥生時代早期以降(2800年前以降)であった。

 日本において、メソポタミアやインダス文明と匹敵する時代に作物栽培が開始されていたことは驚くべきことであるが、その文明が西欧におけるように土地の疲弊と農業中心地の移動をもたらさなかったのは、多様な作物を焼畑において小規模かつ複雑な形態で栽培していたためと推察される。

農産物の発生神話

 古事記には、スサノオノカミがオホゲツヒメを殺し、その遺体の各所から蚕、稲穂、粟、小豆、麦、豆が出てきたという話があり、日本書紀にも同様にツクヨミノミコトがウケモチノカミを殺し、その遺体から牛馬、粟、蚕、稗、稲、麦、大豆、小豆が出てきたという話がある。古事記や日本書紀に描写されている時代はすでに水田稲作が行われた弥生時代に相当すると思われるが、粟、稗、麦、豆類などの雑穀も稲と同様に重要な農産物として扱われていたことがわかる。

 古事記や日本書紀で食物を生産する神が殺されてその遺体から各種の農産物や家畜が発生するという神話の原型は東南アジアに伝わるハイヌウェレ神話であると考えられている。インドネシアのモルッカ諸島セラム島に伝わる神話では、ココヤシの花から生まれたハイヌウェレという少女は、様々な食物を大便として排出することができたが、村人はそれを気味悪く思い殺してしまった。するとその遺体からは各種のイモが生えてきたという伝説である。

 日本の神話では穀類や家畜に変化しているが、同様のパターンである。東南アジアから日本に向けての様々な食物の伝播と並行してこのような神話も伝えられてきたのであろう。日本の神話においてもハイヌウェレ神話においても、死んで土に帰った生命が再び食物として蘇(よみがえ)ることを女神の死に託している。

シャーマンの口承

 日本神話と東南アジアの神話の間にはさまざまな類似性がある。ミャンマー東北部のカチン族においては、人類の発祥から始まり現在にいたるまでの部族の歴史がシャーマンの口承によって伝えられている(吉田敏浩、「森の回廊」、NHK出版 1995)。

 それによれば人類はある時洪水によって滅ぼされ、ひと組の兄妹だけが生き残った。その兄妹から再び現在の人類が生まれたとのことで、旧約聖書や日本のイザナギ・イザナミ伝説とも類似する話となっている。中国の雲南省・四川省、ミャンマー東北部、ラオス、タイ北部などを含む地域と日本の間には、雑穀類・茶などの作物、納豆やモチなどの食品、人々の生活・精神文化においても多くの類似性がある。このことから中尾佐助氏、佐々木高明氏らによる照葉樹林文化論が展開された。


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五穀スケッチ



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第26回(2022年4月11日):
大和朝廷起こした稲作ー大規模な水田造成で農民統率pdf

 

日本への稲の伝来とその経路

 稲はジャポニカとインディカに区分され、さらにジャポニカは熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカに細区分される。現在日本で栽培されている稲のほとんど全ては温帯ジャポニカに属し、東南アジアの山岳地域、中国南部、フィリピン、インドネシアなどで栽培されてきた陸稲は熱帯ジャポニカに属するものが多い。熱帯ジャポニカは以前「ジャバニカ」と呼ばれていて私もこの名称に馴染んできたが、最近では「熱帯ジャポニカ」の方が広く使われている。

 熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカは、同じジャポニカとはいいながら穀粒の形、草高、草形、実のつけ方、DNAなどにおいて大きな違いを持っている。熱帯ジャポニカは背が高く、茎数は少なく、大きな穂を少数つけ、少肥ないし無肥料での栽培に適している。他方温帯ジャポニカは背が低く、多数の茎を持ち、短い穂を多数つけ、多肥栽培に適している。


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稲の草型

水稲栽培と農民を統率する組織

 温帯ジャポニカ(水稲)は長江下流部を起源とし、朝鮮半島経由と東シナ海経由の2つの経路で伝播したと考えられている(佐藤洋一郎「稲の日本史」2018)。平地での水稲の栽培のためは水路の建設や大規模な水田造成が必要であったため、農民を統率する組織と生産される富を守るための国家権力が必要であり、これが大和朝廷の形成につながったものと考えられる。そして、縄文時代からの先住民族に伝わる記憶や伝承も織り込んで、朝廷としての公式の歴史書である古事記や日本書紀が編纂されたのであろう。

陸稲の伝播

 他方、日本の焼畑農業でも古くから栽培されてきた陸稲は、いつどのようにして日本に伝来したのであろうか。熱帯ジャポニカは八重山諸島から沖縄本当までの地域に残っており古くは泡盛の原料でもあった。その形質(遺伝子)は東北に至る各地の遺跡で発見された炭化米や在来品種の遺伝子中に検出されている。このことから佐藤洋一郎氏は温帯ジャポニカの伝来よりはるか以前に熱帯ジャポニカが南西諸島を経由して伝来したと考えている(佐藤洋一郎「稲のきた道」1992、「稲の日本史」2018)。日本の古代の歴史において「海人族」の活動はめざましいものがあり、中国東南部やインドシナとも交流していた。そのため、各種の稲の伝播にも貢献した可能性がある。温帯ジャポニカ(水稲)に先立って伝来した熱帯ジャポニカ(陸稲および水陸未分化米)は、縄文時代の焼畑農業の枠組みのなかに比較的抵抗なく取り込まれていったと推察され、最初は焼畑や谷間の湿地で栽培された。その後低地での水稲栽培の伝来後も水稲と交配されて新しい品種となり、弥生時代から近世直前に至るまで、休耕による地力回復などの粗放な形態で栽培し続けられてきた。

 また、温帯ジャポニカ(水稲)は短日性が強いため、夏の日照時間が長い高緯度地方では開花が遅くなり、開花後の稔実期間を確保できない。このことが中部地方以北への水稲の伝播を阻んできたが、短日性の弱い熱帯ジャポニカ(陸稲および水陸未分化米)と混播しているうちに早稲の形質をもった品種が出現し、北日本への伝播が可能になったと考えられている。

 以上のことから、温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカが共存する粗放で多様な農業は、近代農業が広まるまで長期間にわたって日本に存続してきた。


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稲の渡来経路



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第27回(2022年4月21日):
山間地では焼畑農業ー主に雑穀食べるオンナメシ

 

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 つい数十年前まで、山間地では焼畑農業が行われてきたし、山麓や平野での農業も農地の周りの里山や採草地のバイオマスを肥料として利用して行われてきた。若枝や草を水田に施用することを「刈敷」といったが、江戸時代までは「刈敷」が水田に対する最も重要な施肥行為であったとのことである。

桃太郎は焼畑民征伐

 「桃太郎」の童話で「おじいさんは山へ柴刈りに」というフレーズがでてくるが、これはおじいさんの仕事が水田の「刈敷」のための若枝集めであったことを暗示している。また、桃太郎が鬼退治に出かける際におばあさんから持たされたのはキビ団子であり、桃太郎のお供をしたのは犬、猿、キジであることから、いかにも山での生活を連想させる。

 しかし、アワ、キビ、イネが朝鮮半島から日本に伝来したのは縄文時代晩期中葉以降の2860年から2800年前頃であり、さらに本格的な水稲農業が伝来したのは弥生時代早期(2800年前以降)であった。桃や梅の伝来も同じ頃であったとされている。このことから、桃太郎伝説の主要登場人物は水稲栽培を始めた弥生時代の人であり、桃太郎が征伐に向かったのは焼畑を続けていた山の人々であったとの推測を行なっている文献もある(野本寛一「焼畑民俗文化論」 雄山閣、1984)。

肥料に木の灰を使用

 また、「花咲じいさん」の童話で、正直じいさんが性悪じいさんに焼かれた臼の灰を枯れ木にふりかけたところ花が咲いたことになっているが、これは当時かまどやいろりで燃やされた木の灰が畑や水田の肥料として使用されていたことを反映している。各地の類話の中には犬の灰を畑にまいたとする例も見出されるとのことである。焼畑農業において灰は唯一の肥料であり収穫をもたらす生命力の源であったので、この話は焼畑耕作の文化に由来しているのかもしれない(古川のり子「昔ばなし」山川出版社 2013)。

里山の有機資源利用

 山麓や台地には火山灰地が多く分布しており、肥沃な土地ではなかったが、それぞれの土地に適した作物を選び、周囲の里山からの有機物資源も利用しつつ永続的な農業が行われてきた。

 江戸時代までは、農民はコメを栽培しても、そのコメを自分の家族で食べることができるのは盆と正月くらいだけであった。「七公三民」(広島藩で行われていた年貢割合)の場合、収穫したコメの七割は年貢に納め、残った三割も現金収入を得るための販売用として使われた。農民の日頃の糧は山の畑や水田の裏作で栽培した麦、雑穀類、豆類、イモ類であった。(有岡利幸「里山I・II」法政大学出版会、2004)。

雑穀で女性は健康的

 しかし、そのような食生活が実際のところ農民の健康維持に貢献してきた。コメの自家消費分が増えた場合でも、コメの飯をまず食べられたのは男たちで、女たちは雑穀を食べなくてはならなかった(オトコメシとオンナメシ)。しかし、雑穀食をすることによって、女性は重労働に耐えられる強い体をつくり、子供を産み育て、男性よりも長生きをすることができた。また、雑穀を食べると母乳の分泌が豊富になったとのことである(増田昭子「雑穀を旅する -スローフードの原点」吉川弘文館、2007)。

 野本寛一氏は「栃と餅」(岩波書店 2005)において、「『生存のために食べる』ということは食の基本であり、食の民俗構造の基本である。先人たちは生きぬくためにじつに様々な食素材を自然のなかから謙虚にいただき、自然のサイクルの中で多くの食用作物を栽培しつづけてきた。それらを知恵をこらして保存し、その技術を保存してきた。そして、いったん手に入れた食素材は余すところなく食べ尽くすことを当然のあり方としてきたのである。」と述べている。

 また、日本の各地に見出された「長寿村」の多くが雑穀中心の食生活をしていたことも解明された。

長寿を支える雑穀

 山梨県には上野原市棡原(ゆずりはら)村や早川町奈良田のように、コメは栽培できないが雑穀を栽培し食べて長寿を維持してきた村があった。全国各地の山村にも同様の例がある。これらの地区の人々の食べ物は、大麦、小麦、きび、粟、稗、豆類、いも類などであり、また緑黄色野菜と発酵食品を多食してきた。

 しかし、昭和30年頃から伝統食の形態が崩れはじめ、雑穀から米への依存度が高まり、野菜の量が半減し、発酵食品をとる量が激減した。その結果、50歳台以下のひとびとに成人病の多発がみられるようになり、70歳台以上の老人が元気なのに、50、60歳台の方々が先に亡くなるという、いわゆる「逆さ仏」の現象が多くみられるようになってきた。(古守・鷹觜「長寿村・短命化の教訓?医と食からみた棡原の60年」樹心社 1988)。現在、そのような雑穀の価値を見出し、研究・生産・販売の先進地域となっているのは岩手県である。北海道はソバ栽培に見られるように雑穀栽培を大規模化するにあたっては好適な地域である。最大の課題は、現代の食生活に適応した形で雑穀の利用方法を開発し、消費者への普及をはかることである。


長寿村(上野原市棡原村および岩手県三陸町吉浜)における住民の摂取食料の内訳および全国的傾向との比較

昭和50年(1975) のデータ (単位: グラム / 日)

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上野原市棡原村における死因別死亡率の経年変化

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第28回(2022年5月1日):
小規模農家切り捨てー大規模栽培で多様性は減少

 

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 現代では、地形修正、排水改良、土壌改良が大規模に実施され、化学肥料に主に依存した大規模農業が行われている。しかしその反面、採算が合わない山間地などでの小規模な農地は見捨てられてきた。また、少数の作物のうちの限られた品種のみが大面積で栽培されることから、作物の多様性は減少している。米について言えば、日本で生産される米のうち「コシヒカリ」は全水田面積の35%で栽培され、ナンバー2から7までの6品種「ひとめぼれ、ヒノヒカリ、あきたこまち、ななつぼし、はえぬき、キヌヒカリ」もコシヒカリの遺伝子を継ぐ品種であり、これら上位7品種の栽培面積は68%に達している(佐藤洋一郎「里と森の危機 – 暮らし多様化への提言」2005、データは2018年度米穀機構のものに更新)。

土壌侵食と地力低下

 さらに有機物の施用が減少したことから、土壌侵食の進行と地力低下も懸念されている。例えば、一種類の作物を長年にわたって連作する大規模野菜産地は多様性に乏しい生産体系である。耐病性の品種が育成されているとはいえ、土壌消毒が必須であり、土壌中の微生物組成は単純化されている。

多様と乱雑の違い

 多様であることは乱雑なことではない。システムの構成要因の間に相互関係が結ばれるとそこに新たな機能が生まれ、エントロピーが減少する。土壌中で莫大な種類と量をもって生息する微生物は陸上の物質循環を担い、土の中や上に生育する植物や動物の命を支えている。森林において樹木の根は菌根の菌糸を通じてお互いにつながり、難溶性養分の吸収を助け、お互いに融通しあうばかりか、情報のネットワークをも形成しているという考えもある。

エントロピーの増大

 乱雑さを切り捨て高度に組織化された都市生態系は一見エントロピーを最小化しているように見えるが、その裏で多量の熱と再生不可能な廃棄物を発生し、全体としてのエントロピーを著しく増大させている。地球温暖化、熱帯林や自然生態系の減少、環境汚染、砂漠化、土壌侵食、戦争などはこれにつながるものである。

 太陽から受け取る熱により地球上のエントロピーは常に増大し続けている。しかしルシャトリエの原理によれば、化学反応は系の変化をやわらげる方向に起こる。地球上では、太陽からの距離など非常にまれな条件により、生命活動が起こることを許された。生命活動はエントロピーを減少させる活動なので、地球上のエントロピーの増大をやわらげることができる。自然の生態系においては、構成要因の間の結びつき・相互依存・情報交換によって系外部のエントロピーの増大を最小限にしつつ、集合体としての機能を発揮し、系内部のエントロピーを減少させているように見受けられる。

自主的改良が困難

 多様性は種と種の間の関係ばかりでなく、個々の種の遺伝子の中にも潜んでいる。野生植物の時代から数千年もの年月を経て育まれてきた栽培植物は、その遺伝子自体の中に、多様な環境に適応してきた歴史を秘めている。少数の品種が大規模・大面積で栽培され、農民による自主的な品種の選択と改良が非常に困難な現代の農業において、多くの在来品種が失われていくことは危機的なことである。

 現代において普及している野菜や花卉などの優良品種の多くはF1雑種であり、優良な形質を示すのはその代限りである。遺伝子組み替え品種においても同様である。開発者の利益を守るため、これらの品種は生産者が勝手に自家採種して増殖させることは許されていないし、もともとそのようなことが不可能なように育種されている。従来、新しい品種は農家自らが圃場のなかで見出して育種してきた。このことにより、作物自体にとっても多様な環境に適応して進化することが可能となった。最先端のバイオ技術による育種も大切であろうが、農家自らによる育種の可能性も失われてはならない。

多様な食材を提供

 農業の近代化のなかで切り捨てられてきた様々な品種は少肥でも育ち、土壌酸性や病害にも耐えるなど優れた性質を持っていたことと思う。陸稲も少肥・無肥料栽培に適した作物であった。ヒエ・アワ・キビなどの雑穀類の場合、施肥の基本は10アールあたり1から2トンの堆肥であり、それを補う形で少量の化学肥料が施肥される(N: 0-5 kg, P: 0-8 kg, K: 0-8 kg/ 10a)。もともとは化学肥料無施肥で栽培されてきた。多くが無農薬栽培のため、様々な害虫の被害を受けやすいが、連作を避け、被害株を除去・焼却することにより対処している(星野次汪・武田純一「ヒエ、アワ、キビ」農文協、2013)。それぞれの土地に合った多様な作物が栽培されることは、気象変動・災害・病害に対する安定性をもたらすとともに、消費者に多様な食材を提供できることになる。

 雑穀類は健康にも良い貴重な遺伝子資源なので、ふたたび導入と普及をはかることは意義あることである。各地に伝わってきた伝統野菜も貴重な食料資源である。これらの作物の栽培法と利用法を開発することは、より環境にやさしく永続的な農業にもつながるであろう。

北海道での輪作農業

 北海道で行われている輪作農業は根菜類(馬鈴薯とビート)とイネ科作物(小麦)および豆類を組み合わせた優れた農法であるが、新たな栽培作物や緑肥の導入も含めて、さらに多様な栽培体系にしていくことが望ましい。その際、個々の作物を栽培する一区画の面積や幅を可能な範囲で小さくすることによって、多様性のメリットをより多く生かせ、土壌侵食の防止にも貢献できるであろう。私は帯広農業高校の近くに住んでいるが、帯広農業高校の実習圃場は南北には約500 m と非常に長いが、個々の作物の幅はその品目によって約10 m から25 m と狭く、多種類の畑作物、牧草、緑肥が栽培されている。それぞれの栽培区画は毎年シフトしている。このことにより風食をかなり防ぐことができるし、病虫害の蔓延防止にも貢献できる。圃場が細長いことから農業機械の操作においても特に不都合はないと思われる。


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帯広農業高校の実習圃場



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第29回(2022年5月21日):
植物自ら土づくりー団粒化阻む無理な耕うん

 

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 本来、土の上で植物が生育すると、土は豊かになっていくものである。植物は土に有機物を提供し、土の中の微生物を増やし、土の団粒を作り、空隙を増やす。すなわち、自然の状況下では土づくりは植物自体が自分で行なってくれている。

「木を植える人」

 フランスの文学者ジャン・ジオノが著した「木を植える人」という小説では、プフィエという老人が長年にわたりプロヴァンス地方のやせた土地にドングリの種を植え続けて、森や川を復活させたことを主題としている。

 しかし、農業においては、「土づくり」を考えなくてはならなくなった。それは、農業においては、収穫後に有機物を土に返さないばかりかその分解を促進し、土の微生物の種類と量を減らし、無理な耕うんによって団粒を破壊しているためである。

 土づくりはもちろん緑肥の栽培や有機物の施用のみによって達成されるものではない。土づくりは「地力」を増進するために行われることであり、その地力は土壌の性質ばかりでなく、土壌が置かれた立地条件や環境条件にも影響を受けるからである。

段階的に地力増強

 帯広畜産大学の(故)菊地晃二教授は、地力を固定的なものとは考えず、人間の営力によって高いレベルまで向上できるものと考えた。すなわち、養分が円滑に作物の根に吸収されるような環境条件を確立することにより第二段階の地力まで引き上げ、さらに作物生産を維持・増強するために必要な養分の量および質を確保することにより第三段階の地力まで引き上げることができるとした。

 第二段階の地力を発現する技術としては基盤整備、土層改良、土壌改良が含まれる。基盤整備には風食・湿害・干害の防止が、土層改良には混層耕・心土肥培耕・改良反転客土が、土壌改良には酸性改良・アルミニウム活性の抑制・有機質資材の投入などが行われる。

 第三段階の地力を発現する技術としては施肥管理(作物が必要とする施肥を行う)、有機物管理(有機物や緑肥による肥沃度維持)、作付体系(輪作による連作障害の防止)が含まれる。

 各農家が土づくりに取り組むにあたっては、土壌診断を行ってそれぞれの圃場の改良目標を明らかにすることが望ましい。土壌診断を行っている事業所は多くあるが、それぞれの地域の立地条件や土壌の種類をよく把握している事業所に依頼することが望ましい。土壌診断の結果の解釈方法はこれらの条件によって異なってくるからである。

複雑な土壌の分類

 土壌の分類は複雑であるが、地域に限ればそれほど多くの種類があるわけではなく、個々の農家は圃場がどのような地形区分に属するかがわかれば土壌の分類も決まってくる。

 例えば十勝農協連農産化学研究所では、十勝地域に分布する三種類の土壌(黒色火山性土、褐色火山性土、低地土)に対応した土壌診断を行っている。この土壌分類はもともと北海道農業試験場が行っていた土壌分類に基づいており、最新のものではないが、長年にわたるデータおよび指導経験の蓄積があるためそのまま行われている。

 緑肥の導入と活用および土づくりは各地の農業試験場や農業協同組合によって繰り返し奨励されてきた。いくつかの地域および先進的な農業者はその実践によって地力の低下や病害を防止し、高品質な農産物の安定生産に結びつけてきた。

 地力維持、土壌侵食の防止、有機栽培、新作物の導入などは、農業者にとって少なからぬ負担をもたらすことになるが、理解ある消費者と直接結びつくことによって、経営面での安定を得ることができると思う。


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十勝管内土壌pH分析値の変化(十勝農協連農産化学研究所による分析)


輪作体系内へ緑肥導入

 北海道十勝地方士幌町においては、「士幌町緑肥推進協議会」を組織し、輪作体系内への緑肥導入を図ってきた。また輪作の順番において根菜類(ビートとバレイショ)を続けて栽培しないように指導してきた。小麦栽培後に野生エンバクの栽培および堆肥の投入を行うことにより土壌物理性(保水性・透水性・通気性)の改善、土壌団粒の安定度の改善、ネグサレセンチュウ密度の低減を実現することができた。また、窒素・リン酸・カリ肥料の減肥や作物病害の抑制が可能となった(田中正紳「士幌町における緑肥作物導入による土づくり」土づくりとエコ農業2015.2/3月号)。

 樹園地においては、園地の林床に牧草などを栽培する草生栽培が推奨されている。草生栽培は根が地中深く張ることにより土壌を膨軟にし、物理性を改善すること、保水性を良くすること、土壌侵食を防止すること、有機物が土壌中に蓄積し肥沃度が高まること、硝酸塩などの水溶性の養分濃度を抑制できること、土壌の酸性化を抑制できること、雑草を抑制できること、害虫の天敵の住処となるため、虫害を抑制できることなどの効果が知られている。

「部分草生法」も推奨

 また果樹との養分と水分の競合が問題となる場合には、樹木の周辺の草を刈り取る「部分草生法」も推奨されている(小松正孝「樹園地の土壌管理における草生栽培法の効果と、センチピードグラスへの期待」土づくりとエコ農業2015. 2/3月号)。樹園地に限らず緑肥利用のさまざまな場面で、雑草抑制効果と地力増進効果が高いヘアリーベッチの利用も推奨されている(藤井義晴「ヘアリーベッチの緑肥効果と土づくりへの利用」土づくりとエコ農業2015. 2/3月号)。ただし、果樹の場合には窒素養分が過多になると果物の糖分や色付きなどの品質にとって好ましくないので、イネ科草本の緑肥の方が好まれる。


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第30回(2022年6月1日):
地球温暖化の防止策ー千分の四戦略で炭素を貯留

 

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 農地への有機物投入や緑肥の栽培は、現代において地球温暖化の防止策としての目的も兼ねるようになってきた。この連載前期分の3回目(4月21日)で紹介した千分の四戦略(4/1000イニシアチブ)はその例である。世界の農耕地の炭素含有率を毎年4/1000ずつ増やして炭素を土壌中に貯留し、大気中の二酸化炭素濃度を減らそうという取り組みである。

果樹園で剪定枝投入

 日本においてこの取り組みがどの程度進められているか調べてみたところ、県レベルでの取り組みが行われているのは、日本種苗新聞が所在する山梨県だけであった。山梨県には果樹園が多いことから、剪定枝の炭化や草生栽培、有機質肥料の投入を進めているとのことである。これを二酸化炭素発生の削減につなげ、山梨県産の果物は環境に優しいという評価を消費者から得られることをめざしている。

 国としての取り組みも、環境保全型農業直接支払交付金を設け、堆肥施用やカバークロップの実践農家を支援しているとのことであるが実施面積は4万ha前後と伸び悩んでいるとのことである。

対策論説には勘違い

 農林水産省の4/1000イニシアチブへの取り組みにも積極性が感じられない。農林水産省職員によるある論説を読んだところ、4/1000イニシアチブをすばらしい取り組みであると褒めておきながら、日本では相対的に農地土壌の炭素含有量が多いため、10年で4%増加させると倍以上の含有量となり、2030年に向けた農地吸収源対策を超えてしまうし、有機物を増やしてもコストに見合うそれなりの収入増加を期待しがたいと述べていた。

 さらに、世界には劣化した土地がたくさんあるので、わが国で有機物投入のための基盤的手法を開発し、現地適正技術をそれぞれの国・地域に展開したいとのことであった。開発途上国への援助によって自国での取り組みの遅れや困難性を相殺しようという考え方である。しかし、自国の問題に取り組む意欲と実績を持たない国が他国の問題解決に貢献できるだろうか?

 さらに、この論説には勘違いがあった。4/1000イニシアチブで求められているのは、地球の表土中の炭素貯蔵量を毎年相対的に4/1000 ずつ増やすことであり、土壌の重量に対して一律に4/1000ずつ増やすことではない。

 日本においては水田においても畑においても作土中の炭素含有率の低下が顕著に進行しており、有機物を再び増やすことは重要なことである。

10年後の炭素含有率

 日本各地で化学肥料だけを長年連用した各種圃場の炭素含有率の変化を比較した結果(草場敬「環境保全型農業推進における土壌・養分管理技術」2005)によれば、非黒ボク土壌では土壌有機炭素1%、黒ボク土壌では4%前後を境に、約10年後の土壌炭素含有率は増加から減少に転じていた。すなわち黒ボク土壌において土壌有機炭素が4%あったとしても安泰ではなく、化学肥料のみを連用していると土壌中の炭素が減少するのである。

 また、土壌有機炭素含有率が1.6%以上の非黒ボク土畑圃場では、通常の施肥管理に加えて有機質資材を毎年2tずつ10年間投入して作付けを行っても、土壌炭素含有率は減少していた。すなわちある程度多量の有機物を投入しないと、投入分は土壌中で毎年分解されてしまい、土壌有機炭素の増大には結びつかない。

 なお、本連載18回目でも触れたように、ローザムステッド農業試験場の長期試験においては、化学肥料のみで170年近く小麦を栽培しても、土壌有機炭素含有率はほとんど変化しなかった。しかし、この場合にはもともと土壌有機炭素含有率が1%と非常に低い土壌で有機物残さの多い小麦を栽培し、また土壌中に多量に含まれるカルシウムと粘土によって有機物が保持されたため、有機物含有率が低いレベルながらも維持されたものと考えられる。

 本連載19回目でも触れたように、現代の農業においては、耕耘による土壌有機物の分解促進や土壌侵食による土壌の損失によって、土壌有機物の含有率を増加させることは容易なことではない。土壌中に加えた植物残渣や堆肥の大部分は数年の内に分解されて失われてしまう。もちろん分解によって土壌中に養分が放出されるので肥沃度の維持増進という目的にはかなっている。しかし、土壌中の有機物含有率を増大させるためには、連載17回目で紹介したアマゾン川流域のテラプレタ土壌のように、炭化させるなどして安定化した有機物を施用する必要があると思われる。

 これらのことから日本において4/1000イニシアチブの目標値を上回るレベルで土壌への有機物の投入を行なっても問題はなく、むしろ積極的に推進すべきであると考える。


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10年間化学肥料に有機資材を上乗せ連年施用した非黒ボク土野菜畑圃場での土壌炭素含有率の変化



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第31回(2022年6月11日):
守らねば失う自然ー子供たちに託す土の未来

 

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指導要領から土消滅

 地球温暖化や土壌劣化に対する対策は政府や農家にばかりまかせてはいられない。私たちの次の世代の生存に関わる問題だからである。そのため土壌教育は非常に重要な課題となる。ところが、文部科学省の小・中・高等学校教育に対する学習指導要領においては、平成元年度の改訂において、植物の成長を学ぶ単元で土が消滅し、さらに平成10年には、「土を発芽の条件や成長の要因として扱わないこと」と記されている。

 そのため、平成の時代には植物の成長に及ぼす土の性質を学ぶ機会がめっきり減少した (平井英明「教科書から土が消えている」科学 85巻11号、2015)。私もこのことに関連して帯広市の小・中・高等学校および大学の児童・生徒・学生を対象にアンケート調査を行ったことがあるが、土に関する関心は小学校>中学校>普通高校の順に著しく減少していた。これは、普通教育において土に関する教育が欠如していることを反映したものと考えられる。文部科学省は土に関する知識なしに農業生産および環境保全が可能であると考えているのであろうか。

 ただし、農業高校および帯広畜産大学(別科を含む)では土に関する関心が高かった。また、帯広の地域性を反映したものかもしれないが、小学生は遊びや運動の場として土に触れる機会が多いので土への関心が高かったものと考えられる。

清浄野菜の危険性

 小学生が土に対して高い関心を示した反面、土を「きたないもの」とみなす意識も高かった。これは親や教員の過剰な衛生意識に起因している。O157による食中毒が発生し、人々の間に恐怖を呼び起こしたが、O157は本来繁殖力の弱い菌であり、多様な菌と共存している環境では単独で蔓延することはできない。しかし、清浄野菜と呼ばれるような栽培体系にこの菌だけが侵入すると、食料として供給された場合に感染被害を及ぼすことになる。

 本来子供たちは土遊びが好きなものであり、乳幼児はあちこちを這い周り、そのまま手を口に運ぶことも多い。その際土の中に住む多数の菌が体の中にはいるが、これらの菌が悪さをしているということはない。かえって体内の菌の組成を豊かにし、病原菌に対する抵抗性を高めていると考えられる。また、各種腸内細菌は人間の健康維持に貢献している。人間の生活圏で完全無菌の環境を作ることは不可能であり、多様な菌と共存して暮らすほうがリスクを減らすことができる。


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小・中・高・大学生に対する「土に関するアンケート」の結果


 「植物工場」などでの作物栽培は、作物栽培に土はいらないという思想に基づくものであり、「衛生的」、「環境に優しい」などの宣伝文句のもとに推進されている。しかし、土の上で栽培された作物が「衛生的」でないという根拠はないし、無菌状態が不可能な現実においては、常在菌を排除した系に病原菌が侵入した場合、かえってその蔓延を許すことになる。

 プラスチック、ガラス、金属などの工業資材を多量に使用して建設し、多量の電力や水を利用して栽培を行う植物工場が環境に優しいとは言えないし、安定な栽培技術でもない。農産物の収穫残渣やかけ流しの水耕液は廃棄物として生産現場の系外に排出される。「植物工場」で栽培される作物の種類も限られ、多様性に乏しい。土の上で日光を浴びさまざまな微量要素を吸収して育った作物と比べて、養分が富んでいるという可能性も低い。

 農作物に対してもそれが土の上で生産されるものという意識が失われ、お金を出せばどこかから買うことができるものという意識の方が高くなっているのではないだろうか。異常気象、大地震や噴火、戦争などが起これば、日本人はすぐにでも飢えてしまう状況にあることを自覚する必要がある。

 人間はもともと自然生態系のなかの一構成メンバーとして、自然の中から衣食住の全てを分けてもらい生活してきた。自然と人間の関わりは厳しい側面もあり、人間は生息に適した限られた地域で生活し、人口を容易には増やすことができなかった。しかし作物の栽培を始めたことにより、より容易に食料を得られるようになって人間は人口を増やし、「農耕地」を自然環境から区切って作り、余剰食料で生活できるようになった人々は「都市」で生活するようになった。農耕地と森林での境界では、森林を農業や人間生活に利用しやすいように「里山」として改変した。自然環境 – 里山 – 農耕地 – 都市の間には最初は調和関係があり、人々は身近にそれぞれの環境に接することができた。しかし現代では人間活動によって自然環境は破壊され、里山は不要となって放置され、農耕地は酷使によって劣化し、都市は自然環境と農業環境の衰退を意に介さない人々であふれかえっている。

土壌劣化は過去最悪

 古代において人間の営力がそれほど大きくなかった時代にも多くの農耕文明が衰退してきた。現代では過去にはなかったテクノロジーによって自然環境と農業環境が改変されている。このことがプラスの影響ばかりでなく、大きなマイナスの影響も及ぼしていることは明らかである。この連載でしばしば触れた土についても、現代の土壌劣化は過去の文明で起こったよりもさらに速く進行している。

 私たちは自然環境や農業環境に接する機会を増やして現状を直視し、また現代生活のあり方をみつめなおし、子供たちに不幸な未来をもたらさないように意識的に行動する必要がある。

守らなければ失う

 子供たちには、土に親しむ機会を増やし、農業生産現場を実際に訪れ、土の重要性を認識し、それが守らなければ失われてしまうものであることを学んでもらう必要がある。


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人間生活と自然環境の関わり



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第32回(2022年6月21日):
脅かされる生存権ー持続可能性への取り組みpdf

 

 国連では1972年の「人間環境宣言(ストックホルム宣言)」以来、人口、環境、食料、資源、気候問題などに関連した多くの提言を行なってきた。1992年には「環境と開発に関するリオ宣言」、「アジェンダ21」が採択され、「生物多様性条約」(1993)、「気候変動枠組条約」(1994)などもこれに続いた。

 2000年には「国連ミレニアム宣言」を採択し、2015年までに達成すべきゴールとして8つのゴールと21 のターゲットからなる「ミレニアム開発目標(MDGs)」を設定した。そして2015年にはMDGsの到達点を評価し、2030年までの間に人間、地球および繁栄のために行動する計画として、17の目標と169のターゲットからなる「持続可能な開発目標(SDGs17)」を掲げた。今はちょうどその計画の半ばにある。戦争や疫病(Covid-19)によって世界中で人類の生存権が脅かされている現在、SDGsの基本に立ち返って、これらの目標を達成するための行動をさらに強化しなくてはならない。2019年に国連で開催されたSDGサミットでは、SDGsの取組みの遅れや国際環境の悪化を総括して、2030年までの10年を「行動の10年」とすることが提唱された。

企業にもメリット

 SDGs計画の推進母体は各国の政府だが、企業や個人も積極的にこの計画に関わって推進することが求められている。企業はSDGsの推進に関わることにより、企業イメージが向上する、社会的課題に対応できる、企業の生存戦略になる、新たな事業機会を創出できるなどのメリットがある。反対にSDGsに無関心で、これに反するような経営を行なっていると、企業の社会的評判を落とし、不買運動などでその存続自体が危うくなることもある。

 また、一人あたりのエネルギー使用量の削減、一般廃棄物の排出量の削減、使い捨てプラスチックの使用削減、公共交通機関の利用など、個人レベルでもSDGsの推進に貢献できることはたくさんある。

再生能力上回る負荷

 日本における最も深刻な問題は、人間が環境に与えている負荷(エコロジカル・フットプリントEF)が、地球資源の再生能力(バイオ・キャパシティBC)を大幅に上回っていることである。EFとBCの比は全世界でも1.75の値で、環境への負荷が再生能力を上回っている。

 さらに日本ではEFが4.61、BCが0.59なので、その比は7.8倍となり負荷の方が再生能力よりも圧倒的に大きくなっている。これらの値の単位はグローバル・ヘクタール(gha)であり一人あたりの土地の面積に換算されているが、日本人が生活していくためには一人あたり約4ヘクタールの土地を外国から借りていることになる。高いEF/BC値には諸外国と比べて圧倒的に低い日本の食料自給率および莫大な食料輸入が影響しているが、食料以外の資源やエネルギーの外国依存も計算に入れた上での値である。各国および地域のEFを世界のBC平均値(1.58)と比較すると、地球何個分の生活をしているかがわかるが、日本は2.9、ヨーロッパ平均は3.0で中程度である。アメリカ合衆国は5.13で非常に高い。アジアおよび中南米は1.55で世界平均の1.75よりわずかに低い。アフリカおよびインドは1.0以下で非常に低い。

 SDGs推進のためには北アメリカ、ヨーロッパ、日本など先進国におけるEFを減少するように努力する必要があるが、アジア、中南米、アフリカなど発展途上国では生活レベル向上のためにEFの増大はやむを得ない。他方バイオ・キャパシティBCは全世界で高めなくてはならない。

 本連載の主なテーマであった農業や土に関しても、土壌侵食の防止、土壌の有機物を保全し増やすこと、健全な方法で作物の生産性を上げること、農畜産廃棄物を適正に処理し利用すること、森林や湿地を保全することなどはSDGsの推進にかなっている。次回からSDGsの全体の中で私が関心を持った農業、環境、エネルギーなどの分野に限って述べたいと思う。


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各国における1人当たりの環境負荷



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第33回(2022年7月1日):
遺伝子組み換え前提ー土壌侵食抑える不耕起栽培pdf

 

 土壌有機物の分解と土壌侵食を抑制できる方法として不耕起栽培が推奨されている。土を耕すと、作物の根が張りやすくなり、その生育が促進される。しかし、作物の根や微生物、土壌動物の働きによって作られた土壌団粒が破壊され、土壌は風食・水食などの侵食作用を受けやすくなる。

土壌微生物が分解

 不耕起栽培では作物残渣を地上に残すため、土壌微生物や土壌動物がそれらを分解し、土壌中に引き込むので作物残渣中の養分が有効に利用される。また、土壌生物と作物の根の働きによって団粒の多い良好な土壌構造が形成され、耕耘しないためそれが保持される。これにより土壌侵食も防止される。また、農業機械による圃場作業の時間を減らせるため、エネルギーと経費の節減にも貢献できるし、踏み固めによる土壌の圧密化も防止できる。

 しかし、作物のなかにはバレイショのように、新イモができる領域を確保するため畝を立て、さらに培土(土寄せ)をする必要があるものもある。根菜類も耕していない土壌では生育が抑制される。また、過湿に弱い作物は畝を作って栽培する必要があるので、その際に耕耘作業が欠かせない。

表層に偏る根の分布

 また、土を耕さないと種子の発芽も不揃いで遅れることが多く、肥料も地表面への散布なので、空中揮散などのロスが大きいことや、肥料が根の活動域に到達するのが遅れるので、根の分布が表層に偏り肥効が劣るなどの問題がある。

 さらに、不耕起栽培では雑草、害虫の卵や幼虫、作物病害菌が翌年の作物に持ち越されるため、除草剤を始めとする各種農薬の使用や、除草剤への耐性を持った遺伝子組み替え作物の栽培が不可欠になる。

除草剤とセット栽培

 実際に不耕起栽培を大規模に導入している国は、北米大陸のアメリカ合衆国とカナダ、南米大陸のブラジルとアルゼンチン、オーストラリアなどであり、これらの国の不耕起栽培においては、ラウンドアップ系の除草剤の使用と除草剤耐性遺伝子組み替え作物(大豆・トウモロコシなど)の栽培がセットで行われている。また、ブラジルではサバンナ草原植生のセラード地帯が大規模に開拓されており、これが気候の乾燥化と水不足につながり、周辺の国立公園地帯の季節的な湿地が干上がるなどの問題を起こしている。

オイルパーム栽培

 マレーシアやインドネシアではオイルパームプランテーションの開発とそれに伴う熱帯雨林の伐採が問題になっている。その様子はグーグルマップなどの空中写真でも容易に確認することができる。オイルパームプランテーションは大規模であり、作業道路によって碁盤の目のように整然と区切られている。また、周辺の森林と比べて植生密度が低いので褐色がかった色をしていて目立つ。マレーシアに囲まれたブルネイ・ダルサラーム国は石油生産によって豊かなので熱帯林の伐採をほとんど行なっていない。そのため空中写真で見たその国土は濃い緑色をしているが、それを取り囲むマレーシアの国土は樹林の密度が低下しているため薄緑色をしている。

元に戻せない生活と自然環境

 マレーシアの研究者は、オイルパームの栽培は土地を劣化させない環境に優しい農業であると主張している。それは泥炭地でも湿地状態のまま栽培できるため泥炭の分解が少ないためである。しかし、その栽培には多量の肥料と農薬が使用され環境を汚染している。その経営は大会社によって行われており、生産物はほとんどが輸出されているので、国内の食料を豊かにしているわけではない。国や大会社の財政は豊かになっているかもしれないが、国民への配分は非常にわずかである。また森林伐採によって奪われた自然生態系の機能、野生動物、植物種と先住民の生活は元に戻すことができない。


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Google map で見たマレーシア・サラワク州東部とブルネイの国土


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マレーシア・サラワク州のオイルパームプランテーション


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オイルパームプランテーションの作業機械とオイルパームの実


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第34回(2022年7月11日):
方針の選択は慎重にー自然エネルギーの二面性

 

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 日本政府(菅前首相)は2050年までにカーボンニュートラルを実現することを2020年10月に宣言した。そのために、2030年までには二酸化炭素排出量を2013年度比で46%削減し、再生可能エネルギーへの依存度を36-38%程度に引き上げることを目標としている。

 地球温暖化の抑制とSDGsの推進のため、再生可能エネルギーへの転換推進は不可欠な課題である。主な再生可能エネルギーとしては、1) 太陽光発電、2) 風力発電、3) 地熱発電、4) バイオマス発電、5) 水力発電が挙げられる。各国のエネルギーの導入割合は、それぞれの国の自然条件と社会・経済条件を反映して異なっている。しかし、再生可能エネルギーはその導入方法によってSDGsを進める側面と後退させる側面の2面性を持っている場合があるので、慎重に行動方針を選択する必要がある。

 2021年における世界各国の電力消費量に占める自然エネルギーの割合を比較すると、スウェーデン、ブラジル、カナダなどでは73-79%であり、これらの国では水力発電の割合が非常に高いことが特徴である。デンマークも自然エネルギーが65%と非常に高いが、なかでも風力およびバイオマス発電の割合が非常に高い。多くのヨーロッパの国々では自然エネルギーへの依存度が33-48%の間であり、既に現在でも日本の2030年度目標値を凌駕している。原発への依存が大きいフランスでは自然エネルギーへの依存度が26%と非常に低い。日本は22%とさらに低い。パリ協定から脱退するなど、二酸化炭素の削減に消極的であったアメリカ合衆国も21%と非常に低い。日本やアメリカは自然エネルギー導入の技術を持ちながらも、効率性と経済性を追求するため化石エネルギーと原子力エネルギーに依存してきた。

放射能と原子力発電

 原子力発電は再生可能エネルギーではないが、二酸化炭素を発生しないため地球温暖化の防止に貢献すると言われてきた。しかし、冷却水が海水を温めているし、最も問題なのは放射性廃棄物の安全な保管場所がないことである。使用済み核燃料の中にはプルトニウム239のように高い核分裂性を持ち半減期も2万4000年と非常に長い核種が含まれている。10万年たっても16分の1が残っており、それでも安全とは言えない。10万年といえば、ホモ・サピエンスが出アフリカしてから現在に至るまでとほぼ同じ年数であり、ほぼ永久に子孫に危険物を預けることになる。日本は環太平洋火山帯に位置し、火山の噴火、地震や地殻変動が絶えず起こっている。地盤の隆起や浸食、海水面の変動も今後大規模に起こることが予測される。そのようななかで放射性廃棄物を長期安全に隔離できる場所はどこにもない。チェルノブイリや福島第一のように事故の際の放射能流出も著しい被害をもたらす。

水力発電

 山岳地形が多く水資源に恵まれた日本は水力発電に適した国である。水力発電は二酸化炭素を発生しない。またエネルギーの源泉は水の位置エネルギーなので費用が発生しない。いったん発電施設を建設すれば、その後の管理・維持に必要なコストは低いなどの利点を持っている。しかし、その建設の結果、多くの森林資源と山間の住民居住地が失われてきた。また建設には巨額な費用と長い工期が必要である。

地盤と太陽光発電

 太陽光発電は自然エネルギーを利用する技術として推進されている。しかし、大規模に林地などを伐採して発電施設を建設することは、林地の環境保全機能を犠牲にしているため望ましくない。小田原市では2021年8月に大規模な土砂流出事故が起こったが、これは山間地の脆弱な地盤に盛り土をして太陽光発電施設を建設したためであった。2018年の西日本豪雨でも岡山県、広島県、愛媛県など各地で太陽光発電施設が多数損壊した。

生のバイオマス発電

 小麦、サトウキビ、トウモロコシ、木材などを嫌気発酵させてメタンやエタノールを生産し、発電および燃料エネルギーとして利用すること、および菜種、大豆、トウモロコシ、オイルパームなどの種子から抽出した油分を燃料として利用することは、カーボンニュートラルな技術として推進されているが、これは人間の食料や家畜の飼料と競合するため望ましいことではない。またこれらの原料の大部分は海外から輸入されているため、自給可能なエネルギーという原則に反し、海外の資源と環境を消費することになる。

 他方、廃食料油などを精製して燃料油として利用することは、廃棄物を減らし、再生可能エネルギーの利用につながるため推進すべき技術である。


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各国における電力消費量に占める自然エネルギーの割合(%)



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第35回(2022年7月21日):
再利用できる廃棄物ー糞尿から発電、肥料に変換

 

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 食品廃棄物や畜産廃棄物を未処理の状態で環境中に排出すれば、腐敗により著しい環境汚染をもたらす。燃焼型の産廃処理を行えば多量の燃料を消費する。しかし、バイオガスプラントで処理すれば、有機物をメタンに変換し燃料および発電用に利用することができる。また発酵残渣も農業利用することができる。

「消化液」で団粒化

 釧路市阿寒町ではコロナ禍の苦難のなか、今年新たなバイオガスプラントが稼働を開始した。このプラントのメリットはつなぎ飼い酪農家からのワラに富んだ糞尿も大規模なフリーストール型酪農家からの水分に富んだ糞尿も受け入れられることである。従来はフリーストール型酪農家からの液状糞尿のみがバイオガスプラントの原料として利用されていた。

 長いワラはプラントの原料輸送ラインを詰まらせるなどの問題があるので、酪農家にはあらかじめ短く切った敷きワラを使用してもらい、バイオガスプラントでもカッターで再び裁断している。裁断したワラを含む糞尿はフルイを通過させ、フルイの目より大きなワラは圧搾したのち、堆肥化に回される。細かく裁断され均一になっているので、発酵も良く進み高品質な堆肥ができる。

 嫌気発酵槽に送られた家畜糞尿は嫌気発酵槽でメタンを生成し、残りは消化液となる。このプラントで生産される堆肥と消化液は、プロジェクトに参加している酪農家の牧草畑で全量利用されている。消化液は堆肥よりも土壌の団粒形成に貢献するという研究結果も得られている。

 メタンボイラーから発生した熱は発酵槽や原料受け入れ槽の加温などプラントでのエネルギー自給に利用されている。発酵槽中に残ったワラは回収され「再生敷料」として利用される。

 他方、水分の少ない原料(木材・紙・低水分家畜糞尿など)に対しては、乾式メタン発酵というシステムも適用可能である。このシステムは外国では多くの導入事例があるが、日本ではまだ少ない。コロナ禍による経営悪化とバイオガスエネルギーを有効利用できるシステムが確立していないためバイオガスプラントの導入が遅れていることは残念なことである。

 世界で最もバイオ発電が進んでいるのは酪農が盛んなデンマークである。デンマークにおける電力消費量のうち41%を風力発電が占め、バイオ発電は21%でこれに次いでいる。酪農家からの家畜糞尿ばかりでなく、下水処理場の汚泥、食品製造工場からの有機残渣、海岸清掃由来の海藻なども受け入れる集中型プラントも建設されている。政府からの補助金も大きく、自然エネルギーだけでエネルギー需要をまかなおうとする国民の強い意志によって支えられている。日本ではやっと2021年にバイオマス発電が発電量全体の4.1%に達したが、発電量のうちの半分くらいはプラント自体の維持にも利用されるので、電力需要にまわる分はさらに少なくなる。

 バイオマス発電が電力需要全体の中で占める割合はあまり大きくないが、有機物のリサイクルを進め環境保全に貢献するという重要な意義を持っており、これから発生する電力や熱は副次的なメリットと考えることができる。自然エネルギーの利用を推進することは、SDGsの目標7の「すべての人々に安価かつ信頼できる持続的なエネルギーを確保する」と、目標13の「すべての国々において気候関連災害や自然災害に対する強靭性および適応力を強化する」にかなっている。

 SDGsの推進のためには多くの資金と努力が必要である。それを回避するため、問題の存在を軽視し、それぞれの当事国のエゴイズムを発揮するという行動様式も発生する。1人あたりのエネルギー消費量、一般廃棄物廃棄物の排出量、エコロジカル・フットプリントが世界中でも飛び抜けて高いアメリカ合衆国はSDGsに率先して取り組まなくてはならないが、トランプ前大統領はパリ協定離脱(2017)、ユネスコ脱退(2018)、WHO離脱(2020)を決定した。


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釧路市阿寒町のバイオガスプラント



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第36回(2022年8月1日):
人類絶滅への警告ー地層は活動の痕跡を刻む

 

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 本連載の通しタイトル「人新世を耕す」は日本種苗新聞が付けて下さったものである。「人新世」という用語を提唱したのは、1995年にオゾン層破壊の研究でノーベル賞を受賞したオランダのパウル・クルッツェンとアメリカの生態学者のユージン・ストーマーである。

 クルッツェンは2000年にメキシコで行われた地球環境の変化に関する会議(IGBP)の中で「我々が生きている時代はもう完新世ではない、人新世だ。」と叫んだ。これに先立ちストーマーは1980年にこの用語を記述していた。この用語を地質学において定義するためには、いつをもって「人新世」の始まりとするかを取り決める必要があり、国際層序委員会の第四紀層序小委員会のなかで議論が続けられているが、まだ結論には至っていない。

生態系や気候に影響

 「人新世」を「人間活動が地球の生態系や気候に重大な影響を及ぼしている時代」とするならば、さまざまな出来事を「人新世」の始まりの時期として考えることがでる。例えば人類による大型哺乳類の絶滅を例にとるならば5万年以上前から始まっている。また農耕の開始は第四紀更新世最終期の「ヤンガー・ドリアス期」にメソポタミアで起こっており、「完新世」は「ヤンガー・ドリアス期」が終了した 1万1700年前から始まっているので、「完新世」という用語を「人新世」によって置き換えなくてはならなくなる。

コロナ危機も象徴に

 他にもコロンブスによる新大陸の「発見」と不平等交換の開始、産業革命、産業化学物質の残存、温室効果ガス濃度の増大、オゾン層の破壊、異常気象の頻発、世界人口の急激な増大、食料と資源の偏在、核兵器の使用と核実験の開始などを挙げることができる。廃棄プラスチックや放射性廃棄物・残存核種は明らかに現代の地層の中に痕跡を留めている。2019年の終盤に発生し今なお続いているコロナパンデミックも「人新世」を象徴している。コロナパンデミックは自然現象ではなく、人の行動がもたらしたものだからである。

核兵器の使用も示唆

 「人新世」という言葉は、人類の輝かしい未来というイメージではなく、人類の絶滅さえ予想させる悲観的な概念として用いられる傾向が多い。ウクライナへの侵略に際して、ロシアのプーチン大統領は核兵器の使用を示唆して世界の反対勢力を牽制している。アメリカ合衆国における2020年の大統領選挙の最中にトランプ前大統領も核兵器の使用を示唆した。本来なら核兵器禁止や非戦を主張すべき日本においても、保守政治家たちは核兵器の配備や軍備拡張を主張している。核戦争が始まれば人類の絶滅は間近であろう。「人新世」を議論する必要もなくなる。人間活動の痕跡を刻んだ地層は何千万年か後に、他の知的生物によって確認されることであろう。

3万年前、旧人と共存

 最終氷期が終わり急激な温暖化が進んだ最近の約1万1700年を「完新世」としている。地球の歴史を一年に例えるなら、12月31日の最後の1分20秒に相当する。ホモ・サピエンスは約20万年前にアフリカで生まれ、約10万年前にユーラシア大陸に出たとされている。3万年前頃まで、ホモ・サピエンスはホモ・エレクトスなどの原人やネアンデルタール人・デニソワ人などの旧人と共存していた。ネアンデルタール人は脳の容積や体力などの面でホモ・サピエンスに劣らぬ形質を獲得していたことがわかっている。ホモ・サピエンスよりもはるかに長い期間さまざまな環境変動にも耐えて生き続けてきた原人や旧人は何故絶滅してしまったのだろうか?

優れた協同の能力

 ホモ・サピエンスとの競合が他のホモ属(人属)の絶滅を早めてしまった可能性が大きいが、その理由としてホモ・サピエンスは個々の能力よりも、コミュニケーションによる協同の能力に優れていたためという推察がある。協同することにより狩猟や他の種族との闘争を有利に進めることができたためである。

 協調性・同調性は人類の優れた特性のひとつではあるが、その能力を戦争や環境破壊ではなく、人類の平和と存続に向けなくてはならない。


地球の歴史を1年にたとえると

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謝辞

本連載記事を編集し、読みやすく魅力的な紙面を作っていただいた日本種苗新聞社の地場正充氏に厚くお礼申し上げます。



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世界の古代農耕文明の所在地 (第24回)2022年3月21日